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どうにもならないことを受け止める能力

今日は朝から冷え込んで、しかも昼頃には風もかなり強く吹きました。コートを羽織っていても布地を通り抜ける風圧を感じ、とても寒い一日でしたね。

さて、……。

能登半島地震から24日が経過した。この地震に関わるご意見の中で、今になっても政府の初動が遅かったと批判する人や県知事が発災時に県を離れていたことを非難する人がいることに、少々驚いている。

昔から「天災は忘れた頃にやってくる」と言われる。予期されていたものではない。そういうものに機敏かつ過不足ない適切な対応は難しい。それができるのはシナリオに基づき行われる訓練くらいのもの。大抵は手探りの部分が出てくる。

知事が発災を予知していながら東京に行ったならともかく、そんなことはあり得ない。それに知事は東京から地元に残る県職員と連絡を取って初期対応を実施し、その日のうちに石川県に戻った。その何が不満なのかが全く分からない。

実は地震による被害の全貌は、今になっても把握しきれていない。既存の道路が脆弱であちこちで寸断して移動に困難を生じていること、崩れた建物を撤去しようにも重機を送り込むことが難しいこと、地盤が最大4mも隆起し、インフラや生産設備等への影響が見通せていないこと等が複合的に絡み合っている。

阪神淡路大震災や東日本大震災のように「面」で被災した地域と異なり「線と点」で被災した今回の地震は、対応するにもこれまでと勝手が違うことが復旧の妨げになっている。

ここまで述べたことをベースに考えれば、政府も県もそんなに非難されるようなことはしていないというのが私の受け止め。

では、何で批判し続ける人が現れるのだろうか。このことを考えた時に、私たちは諦め方を学んでいないことに気付いた。

これについてカッコよく言うならば、統制感の幻想を持っているということ。「やればできる」「努力は不可能を可能にする」という言葉は学んだけれど、「できなくてもいいよ」と言われた経験は少ない。どうなったら諦めてよいのかの見切りポイントが分からないのではないか。

そんなものは学ばなくても、これまで生きてくる中でいくらでも経験しているではないか、というご意見もあろう。それはごもっともである。多くの人は落とし所を見つけてそこそこのところで諦めてきた。これは後天的に獲得した能力だと言えるのではないか。

ただ、「中にはやればできる」を真に受けて努力し、その結果本当にやり遂げてきた人もこの世には存在する。そういう人は当然、諦めない。

そういう人はむしろ成功体験を積み重ねた優秀な人である場合が多い。そんな彼らが優秀な頭脳で非難するものだから、言葉も先鋭化してしまう。

私のようにある程度の落とし所を見つけて生きてきた人間からすると、ちょっとうらやましくもあるのだけど、こうなると恐らく話して交わることが難しいように思う。あなたが私の言うことを理解できる側の人間だとありがたいと率直に思う。

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