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学歴差別で何か解決しますかね?

今日は暑い1日でした。湿度も高く、命を守る行動の必要性を再認識させられました。お互いに気をつけましょう。

さて、……。

これ、「工場勤務は高卒レベル」だけだと発言者である市長の根本的な考え方が見えなかった。実際、工場勤務で高卒者が多いのは事実だからだ。でも「工場では高校卒業レベルの人が働いている。頭の良い人だけが来るわけではない」で市長の認識が明らかになる。

頭の良し悪しとは何ぞや? と質問されたら、この市長は答えられるのだろうか。もし大学に入れる能力の有無であると言ったら失笑されるのがオチである。

普通に市長の言葉を読めば、工場で働く高卒者の一部または全部について頭の良くない人がいると言っているのに等しい。これは、どう考えても学歴によって人の頭の良さを判断する考え方だと言えるのではないか。

私の勤める会社には、高卒〜院卒まで幅広く在籍している。中には博士号を持つ人もいる。私がこれまでの30年以上の社歴で関わった多くの人たちについて考えると、高卒者にも優秀な人はいるし、院卒であっても会社の円滑な業務遂行に不向きな人もいる。

さすがに博士号を取る人は優秀だと思う。ただ、今度はそれだけの知見と能力を生かせる業務がなかなかないという別の問題があるのも事実。

このような背景を持つ私として、学歴だけで頭の良し悪しに言及する、増して学歴が絶対的な評価基準たり得るかのように思い込むのは、正直あり得ない発想だと思っている。

市長の学歴は国立大学の工学部卒。学校で学んだことの理解力はあるのだろうけれど、市長として発して良い言葉か否かを判断できない点は頂けない。

そもそも、高卒者は昔よりは減ったものの、まだまだ日本で一定の割合を占めている。そういう人たちを貶める発言をするのは、何が目的なのだろうか。また、頭の良い人に集まって欲しいのならそれは止めないのだけど、そうなったら自治体がどうなると言うのだろうか。

失われた30年で、生活が苦しくなった家庭は多い。そのために大学進学を諦めざるを得ない状況に至ることもあるだろう。それは本人に帰責性はない。

だから、学歴を以て本人の頭の良さに言及するというのは、社会情勢を知らない不見識なたわごとだと言っても過言ではない。

そもそも、高校は高等学校のこと。高等な学問を修めた者に対して頭の良さを云々するのは見識の低さをさらけ出しているに等しい。

私は大卒だけど、高卒者が例えば商業高校や工業高校で専攻した内容は、理解が及ばないところも多い。だからこそ自分が知らないことを学んだ人たちに対しては敬意を払うし、それが当然だと思っている。

この手の差別意識に捕らわれるより、どうすれば多くの人が社会で活躍できるようになるのかを考える方が有益だと心から思う。

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