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人脈、言う程の価値はあるだろうか

今日は、午前中に雨が降りました。昼過ぎには上がりましたが、雨の後の気温は低く、今日は初めて車の暖房を使用することとなりました。冬ですね……

さて、……

以前からの読者の方は薄々気付いているかも知れないけれど、私は人脈というものについて、かなり疑念を感じている。

社会人になったばかりの頃、先輩社員から「人と大いに交わるようにしなよ。それが人脈として自分の役にも立つんだから」的なことを言われた。私は素直だったのでそれを受け入れた。

そして、何かの会合や集まりがあれば積極的に出るようにしていた。また異業種交流会ではないが、担当業務に関する勉強会みたいなセミナーはあって、そこでグループワークをした人達と終了後に一緒に飲みにいったりすることも何回かあった。

その他、当たり前であるが仕事で出会う社外の人とは名刺交換をして、その際に頂いたたくさんの名刺を持ってはいる。

しかし、どれもそれだけである。その後これらの経験が何かの役に立った、助かったという例はない。

このようなことを言うと「その場で終わらさず次に繋げる取り組みをしなければなりません。それにはこのようなプラスワンが大事です」といった怪しげな誘い文句の記事を見かけたりもする。

しかし、その取り組みとやらは数十人くらいまでなら実行可能かも知れないが、それ以上だと無理なものが多い。そして、やったところでいつまでも効果は続かないのではなかろうか。

関係を維持するためには更なる努力が必要。しまいにはそのメンテが目的になってしまって、本業が疎かになる恐れを感じる。もしそうなってしまうなら、本末転倒である。

あなたは手元の名刺入れの束を見て、顔と人柄をどれくらい思い出せるだろうか。

私とて人の子、この世に人間関係というのがあるのは分かる。でも、出会ってちょっと仕事をご一緒しただけで動いてくれる人って、どのくらいいるだろうか。

確かに「以前〇〇でご一緒した辻です」と言えば「ああ……?」と薄い記憶を呼び覚ましながら、話だけは聞いてくれるかも知れない。でも、せいぜいこの「飛び込み営業よりはマシ」という状態を人脈と言うのであれば、無理になくても良いのではないかと思ってしまう。

実際、大部分の仕事は今のパワーバランスを軸に動く。会社組織はもちろんのこと、元上司と元部下の関係、昔発注してできが良かった依頼先等、昔の関係を生かすにもただ関係があっただけではなく、今もつき合いたい或いはつき合わないと後が怖い関係でなければ動き出すことは少ない。

関係は所詮は線でしかなく、それを動かすのはやはり力関係か欲得なのである。極めて身も蓋もないことだとの自覚はあるが、私はそう思っている。

それが証拠に、力を失えば人の態度は変わる。露骨に変える人は少ないけれど、退職した元上司のために粉骨砕身する人も希少である。

むしろそれが当たり前だと思っていた方が、気が楽である。そして、人を力で動かすことには魅力もあるのだろうけれど、いずれ終わりの時が来ることも念頭に置くべきだと思っている。

お読み頂き、ありがとうございました。

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