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男は枝が折れるように、女は花がしぼむように
ムッチャ寒いです。週中は雪が降るとの予報もあり、今から身構えてしまいます。
さて、……
標題の言葉は、人の最期の時の有り様を伝えるものとして、友人から教えられたもの。つまり、死ぬ時のありがちなパターンだとのこと。
男の人は、それまで何かに耐えていた力が限界に達してポキッと折れるように一気に旅立ってしまう。
女の人は、急激な変化はないのだけど、少しずつ衰えてしおれていくようにゆっくりと命の炎が消えてゆく。
亡父はまさに虚血性心疾患、いわゆる心筋梗塞で突然最期の時を迎えてしまった。まだ母は存命であるが、父方の祖母はまさに少しずつ衰えていき、96歳までじっくり生きて世を去った。
確かに、友人の言葉は当たっているのかも知れない。
もちろん、例外がいくらでもあることは分かっている。それでも、この種の話は全体の大まかな傾向について考えるべきだと思うし、そうであればこのようなイメージで問題ないように感じている。
私は父の死を境に、明らかに世の中の見方が変わった。そして、自分自身の来し方行く末についても考えるようになった。
生まれてからずっと、多少の距離はありながらも一緒に生きてきた親。その親が立ち止まり「後は1人で先に進め」という時が本当にやってきた。そんな感慨が浮かぶ。
生きている時にどんなに羽振りが良くても、逆にどんなに逆境であっても、いずれそれも終わりの時が来るのも分かった。これまでは「頭で何となく」だったのが、リアルでの体感となった。
たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵(ちり)に同じ。
これは平家物語の冒頭の一節。諸行無常とは、何も人命に限った話ではないのだけど、いつまでも今のままではあり得ないことを私達に格調高く教えてくれる。
それが腑に落ちれば、世の中が分かり諦めることにも通じてくる。何かに執着することなく悟りの境地に至れば、思い悩むこともなくなる、と言いたいのだけど、まだまだ人としての煩悩は残っていたりもする。
自分の最期が枝が折れるようなのか、花がしぼむようなのかは分からない。どちらであっても、淡々と受け入れたいと思う。ただ、その瞬間まで何かに没頭してそういうことすら考えずに生きられたら良いな、と思っている。
お読み頂き、ありがとうございました。
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