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死生観の話〜死について考えたことありますか?〜

はじめに

生と死。エロスとタナトスについて意識し始めたのは5歳の頃。
なぜ鳥や牛、魚といった生き物は殺され、人の糧となるのか自問自答したことがきっかけです。
そこから派生して、"なぜ人は死ぬのか"幼いながらに必死に考えた記憶があります。

生と死、というよりは死について、深く考えていた5歳の頃。(冷静にヤバイやつ)

生についての見解

とはいえ、死について語るのであれば生についても語らなければ、それはにわかだろう。何についてのにわかか、分からないですが。

私は生について、もっと言うのであれば生きる意味についてはこう考えています。『生きる意味などない』と。

例えば、大人になって子供の頃、親が言っていた注意や心配が理解できる、このようなケース。つまり、一見深いことや意味があることでも体験して、時間が経たないと見に染みないのではないかと。
だからこそ、今生きている意味は、どうであるなど考えたところで死を間近に感じないことには意味を見出だせないと。

死を意識して初めて生を意識する。

隕石が落ちたとして

おそらく多くの人が自分は大丈夫と思う。自分に隕石が当たるわけがない、死ぬわけがないと。
でも、そう思っているからこそ、糸守湖に彗星は落ち、瀧くんは必死に町民に気づかせようとする。そして、前前前世が流れる。
要は誰もが等しく死ぬし、その死は突然やってくる場合もある。
ある意味で死は平等であり、優しい。

死とはなにか

誰しもに訪れるもの、ではなかろうか。
また死とは「無」であると。
そう思うと少し生きるのが楽になりませんか? だって、憎いアイツも嫉妬してたアイツも、そして自分も、いつかは死ぬんですから。

死んだらどうだっていいですよ。そもそも死んだら感情すらないわけで、しがらみも何もかもが無に帰すわけですよ。

ただ、死を想像する瞬間はいつも怖い。死の間際、自分の死期を悟った瞬間なんて穏やかに眠れる自信はないです。
人の寿命が蝋燭で可視化される世の中じゃなくてよかったと思えるほどに死=無とは怖いものである。

"まとめ"

死生観を語ろうとすれば原稿用紙50枚以上は書くことが出来るが、長いのもまた面倒なので、、、

生きているのが辛かったりするのって、死を感じてないんじゃないかなと。明日死ぬと考えたとき、自分の一生ってどうだったか振り返ってみるとまた違った生の捉え方が出来るのかも。

たまに「私は明日死んでも良いように毎日悔いの無いよう生きている」という人がいますが、私は普通にジャンプの続きやドラマ、アニメの続きが気になるし、なんなら一生死にたくないなと思います。

ただ、いつかは死ぬので、そのいつかを見据え、"出来る範囲"で"生き抜く"これが大事。あくまで自分は。死ぬほど辛い現実って、いや死んだことないから分からないってなりますし、どうせ死ぬんで、それなりに生きて楽しくしたいなぁと思う5歳から今日までの毎日です。

余談

あなたは理想の死に方ってありますか?
私は衰弱か、一酸化炭素中毒かな、と。痛いのは嫌なので。

寝ている間に海に放り込まれると、息苦しいのかな?とか飛び降りって当った瞬間の痛みはあるのかな?とか知らなくても良いことを考えるときはあります。

でも結局死を迎えたら、痛みも感情もすべてないわけですし、考えるだけムダだと、、、分かっていても考えてしまうという沼。気をつけてください。

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