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子どもの個性をありのまま受け入れる事

子どもを育てていると同じ兄弟なのに全く違う個性がある事を痛感する。

我が家も、長男と次男は全く違う個性を持っている。同じ環境で同じような教育をしても、こんなに違うのだから、やっぱり生まれ持った個性は大きいと思う。

長男の場合

長男は2才半から療育を始め、大げさでなく1語1語を丁寧に教え込んでいった。自発的に自然には言語を習得出来なかった。

それはまるで外国語を習得するような作業だった。まず、受容=インプット(物には名前がある事を教え、理解させる)することから始まった。そして、耳が育ってから、その次の段階で口から言葉が出てくる(これがアウトプット)ので、気の遠くなるような言葉のインプット作業を毎日何時間も繰り返した(この詳細は療育日記で少しづつ、書いていく予定)。

なので、日本語の言いまわしが今だにネイティブではない。そんな彼は中学受験をしてそれなりの難関校に受かったのだが、一番苦労したのは国語だった。外国人が日本語の試験を受けているようにハードルが高かった。その代わり、算数や理科は得意でそちらでカバーした形だった。

今、考えたら何故、中学受験などさせたのだろう?と思っている。もっと、伸び伸びとさせてあげれば良かった。何故、親である私たちは次々と彼に対するハードルを上げてしまったのだろう?

血の滲むような療育の努力で、ある程度結果が出たので欲が出てしまったんだと思う。でも、偏差値が全ての中学受験で彼の精神は消耗してしまった。”努力すれば何とかなる!”という昭和のスポーツ根性をそのまま、押し付けてしまったんだと思う。

あんなに”ママ”と呼んでくれさえくれればいい!と願った日々もあったのに...今はもう一度、初心に帰って、長男のありのままを受け入れたいと思っているし、幸せに笑ってくれているだけで有難いと思っている。

次男について

長男と7才歳が離れた次男は、気が利いて周りのことがよく見える、長男とは正反対の社交的な性格。でも、集中力や粘り強さに欠ける。スポーツが得意で陽気な子だ。

長男の療育で大変だったのと、外資系勤務の激務で二人目不妊だったので7才も年が離れてしまった。それだけに、能天気な陽気さに救われている。神様からのギフトのように感じる。

長男のように親が色んなプランを立て過ぎて、先回りして、頑張らせ過ぎて潰したくない。何が彼にとって一番いいのか、何が好きなのか、伸び伸びのさせてあげたい。

そんな訳で、次男の中学受験に関しては彼次第ということになる。彼が本気で行きたい学校が見つかれば全力で応援する。そうでなければ、自分でやりたいことに気付くまで放牧状態にするつもりだ。

過度の期待をせず、でも、諦めもせず、子どものありのままの個性を受け入れること、それが今の私の方針だ。

実はそれは、私が母に切実に求めていた事でもある。私は”いい子”を演じていないといけなかったし、とても苦しかったから。


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