見出し画像

自己紹介

初めまして。某パパと申します。

現在、妻と離婚調停中です。

妻とは結婚して10年と少し、一人息子も大きく育ち、小学校でドッジボールを楽しんでいる年頃です。
そんな私がなぜ現在離婚調停に至っているのか、自己紹介がてら書いていこうと思います。

イクメンとして、地元ではちょっと有名なパパでした。

まず、私は子どもが大好きです。
仕事はほとんど定時で帰宅し、保育園の送迎や食事の買い出し・調理など、基本的な家事は私が行っています。自治会の集まりや参観などもおおよそ私が対応してきました。
一方、妻はいわゆるバリキャリで、子どものことを間違いなく愛していますが、家事育児に携わるのは限定的でした。(とはいえ、確かに忙しい仕事だったと思います。)
平日のお迎え~寝かしつけ、保育園の準備や翌日の朝食つくり、病院への付き添いなどを行い、休日は外遊びなど、おおよその日常的な子どもの世話は私が担当してきました。子ども関連のイベントや習い事などの管理は妻が行っています。

妻と疎遠に。かつ仕事で限界が生じる。

私も妻も、年齢があがるにつれて仕事での責任感も求められるようになります。一方で待ったなしの家事育児。次第に私は慢性的な疲労を感じるようになっていました。
妻に相談しようにも「今は忙しい」との回答ばかり。平日に子どもが体調を崩そうものなら「私は休めないから」とだけ残し、話し合う前に仕事に行くことも珍しくない。この時点から夫婦間で大きな溝ができていました。
私は幸か不幸か、仕事ぶりが認められ、いわゆる出世コースに乗っていました。しかし、毎日定時であがらなければいけないストレス、溜っていく仕事、同僚のため息・・・比較的恵まれた仕事環境でしたが、やむなく在宅勤務のある会社に転職をすることになります。

愚痴を吐いたことがばれ、離婚を切り出される。。。

仕事は嫌いではなかったものの、子どものことを一方的に任されたことによるキャリア断念は、私の心にダメージを与えました。
閉鎖的で鬱屈とした日々、非協力的な妻へのストレス、つい私は自分の母に愚痴を吐いていたのです。
休日はワンオペになるので、月に2回ほどは実家に帰っていたでしょうか。(車で2時間ほど)直接話すだけでなく、LINEでも愚痴を聞いてもらう日々。とにかく、転職し仕事仲間と呼べる人間もおらず、実家の母に話を聞いてもらうことで自分を保っていました。
そんなある日、母とのLINEを盗み見た妻が涙を流しながら「もう信用できない、離婚よ」と切り出してきたのです。
妻も妻で仕事を頑張ってきたにも関わらず、裏で陰口を言われることに我慢ならなかった様子。妻のプライドは深く傷ついていたようです。

妻の態度の硬化、やむなく争いへ…

日常的な監護は私、一方妻は「これから仕事もセーブするし、料理なども頑張る」と言っていました。そのため、私は『では、私は近所にアパートを借りて、妻のサポートをするか…』と思い、その旨を妻に伝えました。妻もその旨で了承。協議離婚で話は決着するかと思いました。
しかし!突如、妻は態度を一変させ「子どもと自由に会わせるわけにはいかない」と一方的に言い放ち、受任通知を突き付けてきました。私としては青天の霹靂です。態度が変わった妻に理由を尋ねましたが明確に回答することはありませんでした。
妻が弁護士を雇ってことにより、仕方なく私も弁護士を探して離婚調停に臨むことに。やむなく対立することになったのです。

現在も争い中です。

妻は弁護士に何か言われたのではないかと思っています。突如「面会交流」などの言葉を使い、これまで話し合ったこともないような内容を次々と一方的にまくしたてていました。しかし、いまいち妻自身も制度を理解しきれていない模様。短期間での変わり身がひどく、ちょっとこちらも怪しんでいます。
とはいえ、妻の言い分はあまりに一方的であり、このまま折れるわけにはいきません。離婚に際し、一番初めに読んだのがこの本です。

私は間違いなく妻よりも子どもに接してきました。そのため、離婚で子どもにいかに負担がかかるか、この本で勉強をしました。
この本を読み、子どものためにいかに負担をかけないよう離婚するか、これを私は重要視して離婚の協議を進めていきたいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?