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渚の生と死

11月22日、宮古島出身のライター、宮国優子さんが亡くなった。49歳。
親しい友人だった。

ただでさえ明るい気持ちになれない2020年の年末、亡くなった人の話を書くのは申し訳ない気もする。でも、たくさんの人が亡くなり、死がただの数字になってしまった年にこそ、ひとりの死について書き留めるのも意味のあることのような気がして、わたしが書いていいのかも分からないけれど書くことにした。

宮国優子の名にあまり馴染みがないという読者の方のために説明しておくと、優子さん(こう私は呼んでいる)は、沖縄の離島、宮古島と東京の両方を軸足に、そこから見える世界や日本、ひいては沖縄について、独自のトーンと視点で書いてきたエッセイスト。

彼女が編集・執筆した『読めば宮古!』(2002年、ボーダーインク)は、宮古島のブックオフで1か月に3000冊を売り上げた記録を持つ宮古島史上に残るベストセラーで、宮古島ファンにはお馴染みの人だ。

そして、実はわたしのnoteの定期購読マガジン「文系女医の書いて、思うこと。」というタイトルを考えてくれたのも優子さん、リニューアル前の同マガジンのカバー写真を撮ってくれたのも優子さんだ。写真は優子さんがやっていたバー兼、おきなわ文化サロン『タンディ・ガ・タンディ』で撮影したもの。写真の中の壁に貼られているポスターをよく見れば「〇古島」とあることからもわかるだろう。

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以前のnoteのカバー写真のオリジナル

2016年7月21日、当時担当していたFMラジオ番組「文系女医のニュースラボ」に優子さんを招いている。

テーマは「あの世」。

ディレクターとやり取りしたメールを見ると、

前半は、お盆を前に、沖縄のあの世やお墓参り、弔いなどの話を
後半は、宮古島には、本土よりも他界が身近にあり(生と死が日常に混在している状況)、薬草など自然からの恩恵がある環境の中、島の人たちは、むしろ西洋医学や科学を重んじており、薬もワクチンも病院も医者もいらないという感覚はとても都会的なものだという話をします。

と書いている。

「他界が身近」「生と死が日常に混在している状況」とは何か。

宮古島をはじめとする多くの琉球の島では、かつて死は悲しみの対象ではなく恐怖や穢れだった。優子さんが子どもだった頃(昭和50年代?)、宮古島ではまだ火葬が一般的ではなかった。優子さんはお父様を早いうちに亡くしているが、亡くなってからしばらくの間は毎日、崖をくり抜いたような洞穴を使ったお墓の「中」に食べ物を届けに行き、ご遺体がウジに食われて朽ちていくのを見届けたのを覚えていると話している。

墓参りに選んだ「花」について優子さんが書いたこちらのnoteが傑作なので読んでみて欲しい。

わたしたちが研究している日本最初のアニメーター下川凹天(宮古島出身)のお墓参りをした時、私は供える花にひまわりを選んだ。躊躇なく。

だって、夏だし、その行った先の花屋で、ひまわりが一番きれいだったからだ。

その写真をアップすると「宮国さんらしいね〜」と笑われた。私はキョトンとした。しばらくしてわかったことは、お供えする花は大体決まっているのですね、菊とか。みんなはその常識のなかで生きている。

私は、一番良いものを見せたいものを(ここではひまわり)死者に渡しに行くんだ、とウキウキ選んでいた。私が喜んでいることが、相手の幸せで、相手の気にいるように、私が我慢したら、きっと相手は喜ばない、と思っている。

生きている人間なら少しは考慮するが、相手は初めての、それもお墓のひとなので、笑。

なので、常識的な花は選ぶということが頭からすっぽり抜けていた。と、いうか、常識があるとも思わなかった。

宮古では「他界が身近」「生と死が日常に混在している状況」と書いたのはこういう意味だ。

死者は生者の近くにいる。だから死者はわざわざ花を手向けるような存在ではない。間違っても生者に悪さをすることのないよう、あちら側に行ったことを見届ける必要のある存在であり、墓も墓参りも、生きて残った者たちが病や事故、もめ事を避け、助け合っていくためのものなのだ。

このあたりの話については先ほどの優子さんのnoteをぜんぶ読むと詳しく書いてあるし、優子さんとわたしの共通の師である民俗学者、酒井卯作氏の著作についての書評にも簡単に書いたので、もし興味のある方がいたら読んでみて欲しい。

こんな風に、優子さんとわたしの共通の関心は宮古やおきなわに関する民俗学的なものが中心だったが、実はこの頃、

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