まともな社会人になれなかった話①〜小学生編〜
私の過去の話をします。
テレビの「しくじり先生」じゃないけど、1人でも私のような子供を生み出さないように…また、同じような境遇の方の励みに…
少しでもお役に立てる事を願って書かせていただきます。
めちゃくちゃ楽しかった小学生低学年時代
私の幼い頃の記憶の中で一番楽しかった時期は小学生低学年の頃です。
慕ってくれるお友達が沢山いて、園児の頃からくもんやめばえ教室に通わせてもらっていたおかげで学校の授業も楽しく、人気者として生活させてもらっていました。
しかし3年生になった頃から一変、生活が変わりました。
塾に通い始める
友達には男の子達も沢山いました。それを知った母が「男の子と遊ぶな」と言い出します。
男女交際を極端に否定する母の奨めで中高一貫教育の女子校を受験する事に。
小学生の私は、母を喜ばせたい一心で地元では有名の進学塾に通うことになり、勉強を頑張りました。
疑問を持ち始める。
勉強があまり得意ではなかった私は、宿題がなかなか出来ず、真夜中まで塾のプリントをしていることも多々ありました。
小学3年生で真夜中まで机に向かってお勉強なんて・・・
うちの子は絶対無理w
私、凄く頑張ってたんだな・・・と自分で泣きそうになります。
勉強を頑張っていれば、「母は喜んでくれる」と思い込んでいたので、私なりに頑張りました。
でも、母はそんな、私にこう言いました。
「もう寝る時間だから寝なさい!!」
言う通りにすると勉強はもちろん終わらず、次の日に怒られます。
勉強に費やす時間増やしても、テストでいい点を取れる優等生ではなかった私は、当時はどうしたらいいのか分からずとても困りました。
母は、勉強を教えてくれる訳でもなく、
時には「やれ」時には「やるな」と言うのです。
正直、意味がわかりませんでした。
でも、母が言うのだからそれが出来ない私がダメなんだ。と理解します。
こうして、私は
母の期待に答えられない私は、なんてダメな子なんだろう…
と思うようになります。
母の期待に応えるため、私は友達と遊ぶ時間を捨てました。
塾がない日は学校が終わってから校庭でクラスメイトと遊ぶ事が私の一番好きな時間でした。
でも母に褒められるなら、それでも良い!という選択をしたのです。
それくらい、子供の母親への依存や想いは強烈なんだと今、身をもって学んでいます。
なんとか中学受験に合格
努力の甲斐あってか、母おすすめの第一志望に合格しました。
母はとても喜んでくれました。
「あぁ、頑張ってよかった。」心からそう思いました。
でも、・・・それはゴールじゃなかった。
今考えると当たり前の話なんですが…
小学生の私は、合格しさえすれば全てが上手くいく!と信じていました。
合格し、母に認めてもらう事だけが目的でした。
続く・・・
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