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世界に背中を撮りに行く

今日は最近ふつふつ湧いてきている夢を。
私やっぱり人間の3大欲求の次に誰にでもある欲求を見つめてる。それは表現と言う欲求。

日本は教育が受け身の授業で海外のように自由ではなく。特に板書による書き写しの教育。

正直なところ主体性の意見が言いにくい教育なんじゃないだろうかとかなり批判的に見ていたが近年気づいたことがある。改めてここに書いておこうと思うのだが板書による教育もものすごい効果があると気づいたのだ。まさしく近年パソコンや携帯電話を使って文字を変換しているためこんな感じの漢字だったよな〜と感覚的に知っているだけで実は改めて書こうと思ったら、書けなくなっている。
この前、今住んでいる住所で少し難しい方の字を思い出せなかったのだ。携帯電話の変換作業なら、難なく過ぎて普通に打てているのに。手帳を書く。ノートを書く。その作業から外れてはいけない。

読み書きそろばん
確かに。電卓からそろばんに置き換えた時新しく気づきがあるのだろうか。

それから自分の手で仕事をしたくなっている。

もう一つ世界の人の暮らしのいちページを背中から写真を取りたくなっている。

昔、母の背中で感じたなにか。

なんかそんなことを思いつき形のならないうちにここにかいて。


ただのメモ帳使いをする贅沢なつかい方。

読んでいただいた方、ほんとにありがとうございます😊

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