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小鹿野町地域おこし協力隊/おがの発大人の学校代表 宇佐川拓郎さん(平15文)

 宇佐川拓郎さん(平15文)。北海道札幌市出身。卒業後、都内の小学校で5年間勤務したのち、デンマークの教育に興味をもちフォルケホイスコーレに留学。現在は地域おこし協力隊として埼玉県秩父郡小鹿野町で「おがの発 大人の学校」の代表を務める。

 宇佐川さんは、2009年、社会学部メディア社会学科に入学。1年間休学してバックパッカーとして東南アジアとインドを旅した。復学後、文学部文芸・思想専修に転科。計6年間、立教での学びを深めた宇佐川さん。休学、転科、留学、転職など大きな選択を重ね、自分自身に誠実に向き合い変化を恐れない宇佐川さん。一体どんな学生生活を送ったのか、現在はどんな活動をされているのかお話を伺いました。

ずっと”もやもや”していた。

「もともとコミュニケーションを取ることは好きでしたが、高校時代は人間関係での悩みがありました。自分の内にある”もやもや”する感情を『表現』にしたいと思うようになり、大学のサークルはバンドと放送研究会、演劇研究会の3つに入りました。自分に合うコミュニティを探していたのだとも思います。授業も結構積極的にやっていたかなと思うんですが、学んでいることが自分の関心とちょっとずれてきたという感じがありました。大学に入ってからずっと悩みがちで、次にどうしようかな、と。」


「そのときに、海外だ!バックパッカーだ!!と。これをすれば一気に悩みを通過できると感じたんです。下北沢に憧れていて、下北沢のヴィレッジヴァンガードで『バックパッカー大全』を読んだときこれだ!と思いました。今思えば、ここが大学時代の分岐点だった。それまでずっともやもやしていた。お金を稼いで海外に行くという目的ができたときに、これまで悩んでいたことが気にならなくなって、楽しくなりました。1年間休学し、半年はお金を貯め、残り半年バックパッカーで東南アジアの諸国やインドを巡りました。」

やりたい欲求にもっと忠実になろうと思った。

「休学を経て、より学びたい欲求が高まりました。高校生までは知的好奇心はさほどありませんでしたが、東京に出よう、立教に行こう、海外に行こうと自分で選択したとき、そういうタイミングで知的好奇心が湧くようになりました。3年生の時に休学から戻ったんですけど、なにか違う。以前と同じように社会学から外の事象ばかり追いかけていることが物足りなくなったんですよね。もっと人文学をやりたくなった。そこで文学部の文芸・思想専修に転科を決めました。文学、思想、サブカルチャー、表現をミックスして分野横断的に学べることや、新しい学科としてチャレンジをしようとしていたところに魅力を感じました。転科したことでやりたい学びは一気に広がったし、どの授業も大切なものになりました。2年間でこれ全部受けられないなという感じ。どれ選ぼうかなって。今も大学で学んだことがじわじわ効いてます。何より、社会学と人文学両方を学べたことも、今思うと、本当に良かった。大学いいなぁ、大学に戻りたくなりますね。」

「でも後から考えると大学院に行くという方法もあったんですよ。結局6年間大学にいたので。普通に考えたらそうなりますよね(笑)だけど待っていたくなかった。その時はまだ大学院に魅力を感じなかったんです。大学院は、こもって研究するというイメージがありました。今では大学院にも行けるなら行きたいなと思うこともありますし、どこかのタイミングで行くかもしれないです。」

★2021.11.08 11 - コピー

学びたいということを忠実にやっていた。

「就活はしたくなかった。日本の就活の仕組みにやっぱり違和感があるんですよね。急に表情が暗くなってしまったりするじゃないですか。大変だなというのは周りを見ていても思いました。大学のいいところは、やりたいことができるコミュニティと学びたいことをちゃんと学べるところにあると思っていて、自分は学びたいことを忠実にやっていたし、だから就活に焦ってもいませんでした。」

「ああ、そうか、卒業まで3か月か、となったときも卒論をどうにかしなくちゃということしか考えていませんでした。いよいよ卒業後どうしようかと考えたとき、小学校の教員をやりたかった、と最初の夢に戻ったんですよね。小学校時代が1番楽しかったから、子どものときから将来は小学校の先生になりたかった。子どもと一緒にいたいと思っていました。あ、でも資格取れないなと思って。何か先を見据えて選択するわけではないので、効率とかはすごく悪いと思うんですよ(笑)でもそこから小学校の教員をやろうかと思って、卒業後勉強して資格を取りました。」

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卒業後、無事資格を取得し、都内の小学校に勤めた宇佐川さん。そこでも新たなもやもやに直面します。

環境を変えることが一番

「実際に小学校で働いてみると、この環境は違うという感覚がかなり強くなりました。自分が子供のときは楽しかったけれど、教員になってみると、教室の中で決まった形で学ぶ子供たちの姿を見て、本当に、この形が理想なのかなと違和感を抱くようになりました。授業の上手な先生や志の高い先生は指導方法でどうにかすると思うんですけど、僕は仕組み自体に問題があると感じていました。その問題は僕にとっては根深かったですね。制度はそんなに簡単に変わるものではないので、そこでずっと葛藤していました。自分の力量や専門性を高めることで教育がより良くなると考えている先生もいて、その気持ちも分かりましたし、尊敬もしていました。ただ、自分の場合は、「葛藤」が勝っていってしまったんです。それを無視してやること、もやもやしたままやることは僕にはできなかった。そういうときは環境を変えることが一番なんでしょうね、僕にとっては。」

★2021.11.08 16 - コピー

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もやもやに直面すれば必ずアクションを起こす宇佐川さん。
そうして、小学校と特別支援学校で合わせて5年勤めた後、宇佐川さんは日本の教育制度を変えるヒントを探しに北欧、デンマークにあるフォルケホイスコーレという教育機関へ留学。帰国後、2020年の6月に秩父郡小鹿野町の地域おこし協力隊隊員になり、10月にフォルケホイスコーレをヒントとした「おがの発・大人の学校」をスタートさせます。大人の学校とは、町で一つの社会を構成する大人や子どもが、この場所を通じて混ざり合い、共に学び育み合うことを目指した学びの場。小学校から地域にフィールドを移した今、どのようなことを考えていらっしゃるのでしょう。

2021.11.08 5 - コピー

取材当日、学生ライター・カメラマンも参加した
「おがの発・大人の学校」の様子

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地元の方と一緒に小鹿野の自然・生き物に触れました

大変という言葉が好きじゃないけど

「新しいことを始めるというのは大変な部分があります。大変という言葉が好きじゃないですけど、大変という言葉が出てくるということは大変なんですね(笑)。一方で主導権は自分にあるので、自分がどうしていくかというやりがいはあります。僕自身が一番体験して学んでいる気がしますね。協力隊の制度だからこそ、行政と住民の方の間に立ってできるというメリットがあります。新しいまちづくりを提案しやすいのでそれは最大限生かしたいと思っています。3年かけて大人の学校のコンセプトを提案して、あとは、町の人たちと行政で半官半民のようにして続けていけるものにしていきたいです。」

「地元に既にある取り組みとは別に、なぜ新しいことを始める必要があるのかという問題とはよくぶつかります。地域にもともとある雰囲気とうまくマッチして残っていく部分も必要なので、自分が考えたものをどこまでやりたいと提示するのかは難しい。『こういうことやりたい』というプロジェクトが他の人から自然発生的に生まれ、その時に大人の学校が新しく始める人の受け皿になることが1つ大事だと思っています。まちづくりと学びを掛け合わせ、職業や決められた役割を超えて人が集まるときっと面白い展開ができると思います。」

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小鹿野町の「紅葉祭り」の様子

フラットに出し合っていれば何か見つかる

インタビュー終盤、「大事にしている言葉や価値観はありますか」と尋ねると宇佐川さんがこのようなお話をされました。「フラットに出し合っていれば何か見つかる」。これが大人の学校のコンセプトにも掲げられる「混ざり合うこと、育み合うこと」に繋がるのだと思います。是非、大人の学校とは何か、宇佐川さんがどんな方なのか、もっと知りたいという方は小鹿野町の大人の学校まで足を運んでみてくださいね。

「一方的にインタビューされるのはだんだん辛くなってきますね(笑)お互いに話していると見つかるのですけど、僕一人だと見つかりにくい。そういう意味では、「対等であること」「フラットであること」にはこだわりたいと思います。フラットに聞きたくなるんですよね。フラットに出し合っていれば何か見つかる、この場のより良い何かが。」


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学生との3ショット
中央:宇佐川拓郎さん
左:学生カメラマン 後藤小夜さん
右:学生ライター 江上ふくさん


おがの発・おとなの学校