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ホッピーで酔いどれ春うらら

 親族から紹介を受け、ご両親とも挨拶を済ませた“初対面の”男子とのデートは、どぜう鍋であった。

 うなぎの仲間というよりキビナゴやワカサギの仲間のような見た目をしたどぜうたちを頬張り、日本酒の肴に頼んだ刺身のツマまですっかり食べ尽くした彼に圧倒されつつ店を出た。人によっては卑しいと感じるかもしれないが、わたしは皿の隅々まできれいに食べる人が好きだ。ましてや箸の持ち方が完璧となると、文句なし。どうでもいい世間話しか振ってこない彼はまるで掴みどころがなく、早くもデートの趣旨を見失いかけていたが、お育ちがいいのは間違いなさそうだ。

 適当に浅草の街をぷらりと歩く。なんと彼、上京して10年以上経つというのに、浅草で遊ぶのは初めてだという。緊急事態宣言が明けた3月の日曜日、ぽかぽか陽気に心も浮き立つ。日常が戻ってきたのかと一瞬勘違いしそうになるくらい、そこらじゅうが賑わっている。そんな元気な浅草を彼に見せることができてよかったーー 東京を離れて5年目を迎えるわたしがなぜか小さく安堵していた。

 定番スポットをひと通り巡ると、彼はホッピー通りが気になったご様子。お坊ちゃんにあの小汚い雰囲気は大丈夫だろうか……と少し不安になったが、むしろアレがイケるというのならありがたい。庶民のわたしには洒落た高級レストランより、汚らしくて接客も雑な安居酒屋の方が心休まる。もし万が一、彼とお付き合いする未来が来るとするならば、この感覚の合う・合わないは非常に大事なポイントになるだろう。

 すぐに入店できそうな店を見つけて、案内された席に着く。ぶっちゃけ密も密、大密である。せいぜい6人掛けの席にせせこましく8人が座らされている。すぐ後ろの席の頭上には競馬中継を映すテレビが設置されており、新聞とホッピーを抱えたおっちゃんたちがやいのやいのと大騒ぎ。すでに仕上がりきった彼らに追いやられ、0.75席が0.6席くらいになった隅で縮こまりながらも負けじとホッピーで乾杯をした。

 彼は浅草だけでなく、ホッピーも初体験らしい。薄いビールと焼酎ハイボールの間みたいな飲み物を、ごくごくと飲んでいた。ナカとソトの区別がつかず割合をはちゃめちゃにしながら、コーラを飲むかのように、軽々と、ごくごくと。酒が進むごとに周囲の喧騒は激しくなり、酔いが回っておしゃべりが止まらなくなった彼の声は遠のいていく。顔はすでに真っ赤である。

 はじめは、彼が一生懸命に話してくれている内容を聞き取ろうと全神経を耳に集中させたが、どうも声が小さい。こんな騒音のなかですら声を張ろうという意思がまったく見られないのだ。彼から発せられた言葉たちが、口元から10cmほどの地点でシュワシュワと消えていく。まるでホッピーの泡のようだ。周囲が一瞬静まったタイミングで聞き拾ったいくつかの言葉を組み合わせて推察するに、友人のおもしろエピソードを話してくれているようだったが、ほどなくしてわたしは理解を諦め、笑顔で適当に相槌を打つマシーンと化した。

 ホッピーも、もつ煮も、冷やしトマトも、最高においしい。わたしもふわっといい具合に酔ってきた。浅草で昼飲みなんて贅沢だ、毎日これが続けばいいーー いやいや、本来の目的を忘れてはならぬ。わたしにはミッションがある。彼は一体どういうつもりで会いにきたのか。つまり、お見合いの認識を持ってわたしと会っているのかどうかを確認することだ。こちらばかり(+彼のご両親)が結婚を前提に盛り上がっていても、本人にそのつもりがないのなら大いなる茶番でしかない。彼だってまさか、赤の他人と単なる世間話をしにきたわけではあるまいし……。

 へろへろの状態でわけのわからない話を続ける彼を意を決して店から引っ張り出し、最終ラウンドへ。舞台はホッピー通りから徒歩1分程度の日本酒バルだ。ここなら人も少ないし、カウンターだし、ゆっくりお互いの話をすることができるはず!と張り切ったが、見事撃沈。日本酒を数口含んだ後、彼はトイレへ立ち、帰らぬ人となった。いや、外から何度か声をかけると這うように帰還したものの、カウンターで熟睡。取り残されたわたしは、常連の江戸っ子おじさんと店の大将と3人で浅草トークに花を咲かせたのだった(この江戸っ子おじさん、ヴィトンのド派手な上下スウェットを着ていておもしろかった)。

 ちなみに笑えないけど笑っちゃうようなオチもついた。大将から「あんたら酔いすぎだからもう酒は出さない」と宣言され、千鳥足で駅に向かう途中、彼は道端に吐いた。それも2回。バッチリそれらを目撃したわたしは即座に酔いが覚め、コンビニへと走り、水とヘパリーゼを買い与える。大学時代ぶりの介抱に懐かしさすら込み上げてニヤニヤしてしまうが、彼はもちろん気づいていない。立っているのがやっとな彼を銀座線へ送り出し、初デートは閉幕。なんと7時間もひたすら飲み続けていたようだった。当然ながら、ミッションは達成されずじまいである。

 この後、わたしたちは果たしてどうなったのか? 気が向いたらまた書きます。

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