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自分の手で開けたピアス穴

 先日30代突入の願掛けとしてインナーカラーを入れた話を書いたら、27歳の誕生日にも願掛け的にピアスを開けたことを思い出した。神社でお願いごとをするときはせいぜい5円か10円を払って形式的なことしかしないのに、「○○歳の節目」の大義名分があれば自ら大胆な(自分比)儀式を行う習性があるようだ。

 27歳の誕生日は、ひとりで生きていく覚悟を決めるために、ピアッサーを買って自分で自分の耳たぶに穴を開けた。成功しようが失敗しようが自分次第。例え失敗しても誰のせいにもできない。そして日々ピアスをつける楽しみが生まれるとともに、ひとりで生きる覚悟といやでも向き合うだろうと考えたのだ。

 転勤で福岡に来て2年目。仕事はそこそこ楽しい。一緒に働く仲間に恵まれて、愚痴をこぼしたりたまに恋バナをしながら作業する環境は悪くない。しかし、この生ぬるい環境で人生を溶かし続けることへの危機感は少なからずあった。プライベートは相変わらず停滞だ。これといった趣味もなく、恋人も友人もいないので、休みの日は引きこもって終わる。そんな悶々とした日々を送るなか、あるときふと唐突に、脳内でひとつの考えがまとまった。

 きっとわたしは、20代のうちに愛する人と結婚して子どもができて……といった理想の「普通」は得られない。他人に寄りかかる暮らしを夢見ていてはだめだ、ひとりで生きていかなければならぬのだ!

 と。急転直下に思い詰めたわたしは、来たる誕生日に自力でピアスを開けようと企てたのだった。

 なぜピアスなのか。自分の体に、決意を刻み込みたかった。自分の意志で。自己責任で。自分自身から逃れられない状況をつくりたかったのだ。その手段が「ピアス」なのは、我ながらかわいいな(その3年後、「インナーカラー」というまたまたぬるい手法を取るのもわたしらしい。タトゥーは30年後か?)。しかも、厳密には約10年前に母に開けてもらったピアスの穴を復活させるようなもの。なんとかなるだろうという浅はかな打算があったのである。

 結果、わたしは思いきり失敗した。ピアッサーをガチッと力いっぱい押し込めばよかったものの、恐怖心を捨てきれず中途半端に耳たぶに針が刺さった。見事に流血。というより散血。初めて血が飛び散るのを肉眼で見た。けれど、このまま諦めるわけにはいかない。怪我のし損だ(生粋の貧乏性である)。半泣きになりながら改めてグイとピアッサーを押し、なんとかぶっといピアスが挿入された。

 中学卒業後に母に開けてもらったピアス穴は、はじめの3年ほどは活躍したが、その後自然に閉じてしまった。ピアスに飽きたのだ。毎朝ギリギリまで寝ていたいわたしにとって、その日のピアスを服装に合わせて選んで装着する作業は面倒で仕方がなかったのである。

 そんなわたしが、このたび大きな意志と小さな傷とともに復活させたピアス穴。意気揚々と好みのピアスを買い漁ったが、なんのバチが当たったのか、わたしの耳たぶは数年のブランクを経て金属アレルギーになってしまったようだった。せっかく買ったピアスが入らない。それどころか、穴を開けた際にできた傷に追い討ちをかけるようにただれていく。泣く泣くステンレス製のものを探すものの、デザインは限られる。気に入らないものをわざわざお金を出して買う必要などない。元々お洒落とは程遠い生活をしているわたしである。案の定、1年足らずでせっかく開けた穴はホクロ同様の存在と化し、健康な耳たぶを取り戻したのだった。

 なーーーにが決意だ、覚悟だ。ただの自傷行為じゃないか、と思ったりもする。けれど、不思議と「ひとりで生きていかなければ」という思いは今も変わらず常に心のすぐそばにある。正直のところ、誰かに寄りかかりたい気持ちはやっぱりどこかあるし、実際にひとりで生きていけているかといわれれば全くもってそうではない。しかしながら、あの散血騒ぎを起こしてからは、ある程度の度胸はついたと認めてあげたい。

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