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大学受験に露見する構造的な男女差別~(そこそこ)高学歴&元ミソジニスト女性による観測~

……なんて仰々しいタイトルを付けましたが、私が先日投稿したXのポストへの省察と、そこに集まった反応を紹介する投稿です。学問において長らく特権側に居たが故に、ミソジニストを拗らせていた過去の私の体験を交えた長めの日記です。

 とても長いので、ヘッダーに設定している私のツイートに見覚えがあって、「アイツやん!」となった方は、下記目次の3.以降から読まれることをおすすめします。



1. 私のポストの内容、投稿した経緯

1.1. ポストの経緯

 最近、京大を初めとする国公立大が特色入試に女子枠を増設することが話題となっている。京大の声明や会見の記事を読むに、あくまで理工系学部への女子の心理的ハードルを低くして、受験する女子の母数を増やす試みで、私は個人的に大学側の目論見は達成されるんじゃないかと思って見ているのだが、今回の記事の主旨には無関係なので、ここでは深堀りしない。学費値上げ問題の際にも思ったが、政府に阿らずに学生や時代に寄り添った挑戦的な試作や理念を先陣切って発表するところが、如何にも京都大学らしいなと感じている。

 その中で、女子枠を「女子優遇枠」と捉えたとある京大生のポストがタイムラインに流れてきた。

 ひとりの受験&浪人経験者としては全く共感できない投稿であったが、驚くべきことに4000近いリポスト、4.6万のいいねがついていた。数日に渡って拡散されていて、見かけた方も多いのではなかろうか。

 このポストに対するたくさんの引用リポストの内、以下のような内容の引用リポストがプチ炎上して、私のタイムライン上に流れてきた。

 ここ10年以内に受験生であったという女性からの経験談である。ちなみにこの投稿主は2019年、2023年にも同様の内容の投稿をされているため、一夕一朝のでまかせではない。実際に大学側が減点を行っているかどうかは置いておいて、先生から言われたことは事実であるのだろう。

 私はこの内容に身に覚えがありすぎた。なぜならば、私が現役時代に後期試験で旧帝大を不合格になった際、開示を見た先生がポロっと零した言葉とほぼ同じだったからだ。

1.2. ポストの内容

 このポストを引用して、私は以下のような投稿をした。
「国公立大や旧帝大でまさかと思う人いるだろうけどこれは本当にある。私も現役の時に後期試験で恐らくされた。開示見た塾の先生に「これは『女子減点』の可能性がある」と言われた。これは受験界で暗黙の了解的になっている。」
 当該ポストは消してしまい、自分でもスクショを取っていなかったので内容を貼ることができないのだが、概ねこの通り記載したと思う(スクショあったら貼るのでください)。

1.3. ポストの悪かった点

 ひとえに私のポストで不必要だった部分は「恐らく私も現役の時に被害にあった」と記した部分である。なぜならば私の主観であり、証拠がないからだ。ただ私の中では、年を重ねるにつれ構造的な男女差別を目の当たりにしてこの疑念を深めていった過程があり、今回それを発露してしまった形だ。

 そもそも私の大学受験は10年以上前のことであり、翌年にこの大学以上の旧帝大に入学し、大学院まで楽しく研究させてもらった。そのためこの時の不合格なんて人生においてかなり些末事で、今や未練も何もない。ただ初めて目の当たりにした女性差別として記憶に残っていただけなので、ポストに寄せられた「他責思考だ」「負け惜しみだ」といった批判は想定外のものだった。

 全世界に閲覧される可能性があるということを失念し、確度の低い情報を交えて体を整えずに投稿したところは完全に私の落ち度である。拡散され始めたときに、この部分に関して嘘つきと言われたり、全うな批判が来たりすることは甘んじて受け入れる覚悟をしていた。同時に、信頼度の高い指摘が来るまでは消す必要はないと感じていた。
 しかし、そのような建設的な批判が来る前に私の人格に言及したリポスト(『他責思考で羨ましい』、『こんな考え方私だったら恥ずかしくて生きていけない』等)が増え、精神衛生上よくなかったため消すに至った。
(基本すべてのリプ・引用に返信してしまうので、無関係なオタク友達のタイムラインを荒らすのも心が痛かったのだ。)

1.4. ポストの主旨=差別を目の当たりにした際の落胆

 このポストで私が訴えたかったのは、
女性は、性別によって理不尽に差別される可能性を、ある日突然眼前に突き付けられる。男性は経験しないだろうし、この現状が見えていないよね?
ということである。元ポストの方も恐らく、そういう主旨で投稿されたことだろう。

また、「大学受験における男女の構造的差別は、はるか昔の話でもなければ、大学の種別や格に寄る話でもないよ
ということが伝えたかった。こう書いてみて改めて元ポストを見ると、私はなんて拙い文章を書いてしまったのだろうと反省ばかりが残る。自分が減点されたかどうかなど正味どうでもよかったのに、そこにばかり突っかからせてしまう文章を書いてしまった。

2. 『女子減点』の呪い

 私の経験も引用元ポストの方の経験も、東京医科大学の事件(4浪以上&女子を不当に減点していた)や蒲郡市の事件(職員採用試験で女性を減点していた)が明るみになる前のことである。

 私の先生もだが、受験関係者がわざわざ私たち生徒に、この種の”嘘”をつくことのメリットはない。きっと先生たちが受験戦争を研究している中で、数多の受験生を見てきた中で、思い当たる節があったからこそ出た発言だろう。それを「忠告」として言わざるを得ない状態にあった、その事実こそ「異常」である。

 当時の私はむしろ、この先生の話には懐疑的だった。なぜならば、「平成のこの時代にそんなバカバカしい差別が残っている訳ない」と思っていたし、「性別によって差別される理不尽な社会がここから先に広がっている」と認める方が辛かったからだ。あの言葉は相当にショックで、受験に関する様々なことを忘却しつくしている中で、その言葉を言われたシチュエーションだけは昨日のことのように思い出される。

 私は両親が進学に肯定的だったおかげで、中学受験をさせてもらって進学校に入学し、努力すれば素直に順位に反映される環境で6年間育った。私は、女性定員の少ない学校に、純粋に己の実力だけで入学したと勘違いした井の中の蛙で、「女性差別とか、頑張れなかった人の言い訳だ」と信じて疑わない立派なミソジニストだった。だからこそ余計に受験という場で差別的な構造が残っている事実が認められなかったのだ。

 大学に進学して会社に就職する中で、男女平等社会の幻想を打ち砕かれるまで、この思いは変わっていなかった(私自身や周囲の女性が受けたたくさんのセクハラや、同級生が両親から受けた受験・就職における抑圧、就職先で見た給料の不平等さなど、エピソードはたくさんあるが話が逸れてしまうのでここでは省略する)。

 私が勘違い野郎であったことを自覚して、自分の特権と、それから受けてきた差別を自覚した後に、医科大学での女子減点が報道された。まるで先生の言葉の答え合わせかのような事件であった。ニュースになったときも「やっぱり本当にそんなことしてた大学があったんだ」と納得して驚きもしなかった。
 医科大の一件は私のように、かつて受験生だった女性の多くが大学への不信感を膨らませた事件であったことだろう。火のない所に煙は立たぬのだと改めて思った事件でもあった。

 医科大の件だけで、いったい何十人・何百人の人間が加担し、黙認していたことだろう。しかも男女平等が謳われて久しい令和の時代まで。同時にほかの大学で今まで一度もそんなことが無かったと断言できる人間がいるのだろうか。これで受験の公平性を信じろという方が難しい。

3. ポストに対する反応と分析(と感想)

 このポストについた引用はどれも批判的なものだったが、概ね以下の3種類に絞られていた。

①陰謀論だ。
②お前は他責思考のお気楽人間だ。
③「自分が落ちたのは〇〇割(男、現役、浪人、低身長)だからか」という揶揄

 先にこれらのポストの男女の割合(推定)を示しておく。引用を付けたアカウントのポストをある程度遡り、男女を判定させてもらった。30件の引用のうち、女性は1件のみであり、内容は②番だった。残りはすべて男性と思しきアカウントで、②番の引用を付けているアカウントが2件、意味のない揶揄が2件、残りが①、③番の内容であった。ここの内訳は数え忘れてしまったのだが、③番がほとんどであった。

 先に1件だけついていた女性の引用について、「全部女だからで済ませて、私だったら恥ずかしくて生きられない」という内容だった。この言説は私には「ウィークネス・フォビア」に映る。どういう人生を歩んでいらっしゃるか分からないが、私も2.の中盤で述べた通り高校生くらいまでその価値観だったし、女性の身で男女差別を否定して、被差別者(自分自身含め)を踏みにじっていた。その価値観で生きていくのは苦しかろうから、彼女の呪縛が解ける日が来ることを願う。

 さて、残りは男性と思われる方たちからの引用を見ていく。
 まず①番に関しては、先にも述べた通りやはり多くの男女差別は男性からは徹底的に見えていないのだと感じた。ほとんどの差別は悪意なく行われるものであり、差別されている側からしか見えないという基本的な事実を知って欲しい。これは私自身にも言えることだ。私に見えていない、または私が悪意なく行っている差別もこの世にはあるわけで、頻繁に自分を省察して価値観をアップデートする必要がある。「自分に見えていないもの」=「存在しない」と考えるのは随分と短絡的である。
 陰謀論もなにも、私は経験として「女子減点」の可能性を指摘されたわけだ。元ポストの投稿主もそうだろう。「女性は外科には要らない」、「女性は正社員になれない」、「女性は優秀でも補佐にしかつけない」等、男女差別は現代日本に未だザラにある。
 そして実際に入学・入社試験において、医科大や蒲郡市の件があったわけで、女性にとっては女子減点が陰謀論だと切って捨てることなど不可能な状況だ。その一方でこれらをわざわざ男性に伝える人間もいない。男性には小耳にはさむこともないほど稀有な例として映るのだろう。

 次に②番に関して、他責だと思うのは1と同様、あらゆる社会構造や差別を目の当たりにせず、もしくは認識しないままに生きられているからだろう。
 「こんな風にだれかのせいにして楽に生きたい」等がたくさん来た。こちらも根拠もなく言っているわけではないのだが、そんな推測すらできないほど人生にお疲れの様子だ。私の人生が本当に楽だと思うなら交換してもいいぞ。全部他責にして楽に生きてる人間が旧帝大入れるわけないからね……あとそんなに他人に嫌味言いたくなるほど辛いなら、周囲の環境が本当に公平であるのか見直したり、ある程度他人のせいにしてみたりしてもいいんじゃないですかね。

 ③番について、これは私のポストが女子枠関連の話題で広がったせいか、東工大など国公立大学のまだ学部生(もしくは少々学歴コンプを拗らせてそうな浪人界隈)と思しきアカウントからいくつか寄せられた。引用数としてはこのようなミラーリングもどきが一番多かった。
 男女差別の話題の時、このミラーリングもどきをしてくる連中が本当に多いのだが、それが根本的に成り立たないことが早く社会全体に浸透して欲しいと願っている。この絡まれ方をしたときに毎回「またこの説明から始めるのか~」と宇宙猫の顔になってしまう。

 受験勉強を一通りした人であれば、歴史の授業で男女差別については習っているはずだ。現在もあることが認められないとしても、過去あったことは認めているだろう。男性という性が歴史の中で特権を得ていたことは間違いない事実であり、かつ学問においても女性には長年門戸が狭かったことは認識できているだろう。まだ就職したことのない男性はご存知ないかもしれないが、日本は昭和どころか未だに「女は愛嬌、学は要らない」、「お茶くみは女性の仕事」等と言われてしまう社会である。多少改善されているがまだまだ平等は程遠い(数字でしか判断したくない人はジェンダー・ギャップ指数をご参照のこと)。
 女性は、歴史的に永らく構造的差別の中にあった属性だ。そして「女子減点」は医科大の件や蒲郡市の件を通して、つい最近まで実在したことが証明されている問題だ。対して男性はそれが無かった属性であり、「男子減点」「低身長減点」「現役減点」は受験界で実在した例はない。受験生時代に一度でも先生から言われたことがあるのだろうか?これらが対として通用すると本気で思うのか、その賢い頭脳を使って今一度考えてみてほしい。
 「多浪減点」は医学部受験においては耳にする噂であり、医科大が実際に行っていたのでなんとも言えないのだが、それ以外は陳腐極まりない。学問の自由を存分に享受できる大学にせっかく入れたのだから、ぜひ専攻科目だけでなく少しでも社会についてお勉強して欲しいと願う。せめてこの陳腐なミラーリングをしなくて済む程度に。

 この他に旧帝大のおぼこい学生から「北九大の文系落ちか」と推測され、「昭和でもあるまいに、あなたは差別されていない」と断言された。後半に関しては上でミラーリングもどき奴に対して述べたこと、それから2.で述べたことと同じことを言いたい。
 前半について、投稿主は文系学徒のようなので、文系学部しかご存知ない様子だが、残念ながら世界はかなり広い。同じような形態の試験は旧帝大の理系にだってあるのに、わざわざ自分の通う大学よりも入試難易度の低い大学をチョイスするところにアンコンシャスバイアスが働いているのを感じる。バカにしたようにミラーリングもどきをしてきた方たち含め、私の知能をかなり低く見積もっている(少なくとも自分以下であると)のをひしひしと感じた。

 
これに関しては私のポストの内容の詰めが甘かったため、という説も否めないのだが、誰もかれもが私を旧帝大に遠くから遠吠えしている負け犬という設定にして、上から目線で「指摘」してくる(命令口調から「消せて偉い!」のような幼児扱いまで)。私がもしも彼らの大学OBであったならば同じように無礼な口ぶりで噛みついてきていたのだろうか?そんなことはなかったように思う。「『女子減点』なんか存在しない」と主張するあなたたちがまさに、私を女というだけで下に見てる現状に気づいて欲しい。

 つい最近もテレビに出ている女性議員を呼び捨てで怒鳴りつける芸人や、X上で女性研究者を恫喝する非専門家の男性を目にしており、そのたびなんという差別社会だろうと呆然とする。私の場合はこの先生方よりもはるかに脇が甘かったので比較対象ですらないのだが、脱力の種類は似ている。それにしてもなんというやるせなさだろうか。

 この3点のほかに冒頭で「意味のない揶揄」とまとめたが、「フェミニストだ!」「左翼だ!」と面白がって、貶したつもりになっている人がいた(無言で民青同盟のチラシを貼り付けてリプしてきた人までいた)。ここら辺は社会への解像度が低すぎてちょっと私の手に負えないので、今回は言及しない。「フェミだ」と言われても「そうですけど」としか返しようがないし、この話題のどこに右だ左だの思想が表れているのか謎である。大学生くらいの学生たちがこういう絡み方しているのを見ると、ある程度脱力する。たぶんX見てる場合じゃない。その解像度で見ず知らずの私に絡む前に、本や新聞を読んだ方があなたの人生のために良いと思います。黒歴史になるか、拗らせるかの分岐点。

4. 「賢い」人たちへ

  高校や大学は同質の人間が集まりやすい。高学歴になるほどそれは顕著で、親が受験に理解を示していて、経済的にもある程度裕福で、心置きなく勉強に集中できる環境を提供されて生きてきた人間がほとんどだ。大学に集まる人間は、男性のみならず女性も、世の多くの女性と比較して、差別を気にせず生きてこられた特権を持った人間がほとんどだ。故に、それ以外の道にいる人間にも、自分が思い描く以上に多様な境遇があることに思い至らないことが多い。
 若い時は特に自他の境界があいまいで、自分が差別する側にいる問題が話題になったとき、まるで自分が批判されているように感じ、自分の努力すべてを否定された気持ちになり、または権利を奪われるのではないかと怖くなり、その問題に目を向けるのが難しくなってしまう気持ちは痛いほどわかる。
 ただほとんどの問題に置いて男性側の権利が不当に奪われるような主張はなされていないので、ぜひ客観的な視点から向き合ってみて欲しい。せめて大学生のみなさんにとって身近なはずの問題、女性には進学において数多の差別が未だ残っていることに、真剣に目を向けてみてほしいと願う。

 最後にこの長く拙い文を読んでくださったすべてのみなさまへ、非専門家の書き散らしをご覧くださってありがとうございます。差別問題に関してまだまだ初学者であるので、至らない点も多いかと思います。後学のため、ご指摘あればぜひいただきたいです。

 かつてミソジニストでレイシストだった無知蒙昧な私が改心したきっかけがまさに「差別に対してのモヤモヤを可視化」したポストを見かけ、共感したことからでした。性差別のみならず、差別されてきた側のみなさん、これからもSNS等を利用してどんどん可視化してほしいです。

読まなくていい余談

 めちゃくちゃ余談だが、私は最近、アイドルの写真集へのセクハラコメントについて人様のポストを引用リポストして5000くらいいいねを貰ったことがある。その時もアンフェが湧いてきて、休職中で暇だったので全てにお返事していた。
 おもしろいのが今回のコメントとかなり質が違うということ。セクハラコメントのときのアンフェたちはかなり粘度が高くて、かつ正面から私の反論に何日にも、何ポストにも渡って返信してきていた。
 今回絡んできた人たちはほぼ全員に返信したのだがほとんど返信が無かった。まだ若く、かつ学生など、学校に部活にバイトにとリアルが忙しい身分なのだろう。私が1文をミスらなければ、彼らは私のポストに引用すらしなかったのかもしれないとも思う。
 その分まだ軽傷とも言えるが、皮肉にもなっていないミラーリングもどきを仕掛けてくるあたり、構造的差別に目も向けたこともなさそうであり、かつ若者の間に冷笑主義がはびこっているのを感じて少し恐ろしくなったりもする。


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