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合唱曲を回顧する

合唱曲って良いですよね(二度目)
たくさん書いたのに記事が全ロストしました。
熱量を前と同じにできるか分かりませんが、なんかこのまま消えて泣き寝入りするのは嫌なので再チャレンジです。

私の中のベスト1合唱曲は『あなたへ』という曲です。

あなたへ ~旅立ちに寄せるメッセージ~

この曲は私の中学校の卒業式で卒業生として歌ったのですが、当時私は初めて聴いた曲でした。
母校の例年の卒業式では『旅立ちの日に』を歌っていたのですが、その年から配属された若い熱血体育教師が色んな先生に頼み込んでこの曲にしてくれたみたいです。

百見は一聴に如かず、ということでまずはこちらをお聴きください。

このYouTubeの動画が投稿されるより前に卒業式を行っていたので、当時はあまり知名度は低かったような気がします。この曲を卒業式で歌ったという同級生に出会ったことがありません。
今となっては凄まじい再生数なので今ドキの子たちには当たり前の卒業ソングなのかもしれません。

私は中学時代に1年間ヤンチャをしてから更正して勉強に目覚めるという謎な経歴があります。

1年生の終わりの頃に60歳過ぎのおばあちゃん先生の担任に呼び出されて「六花は本当は優しい子だよ。先生には分かるよ。あまりこういうのは言いたくないんだけどね、友達付き合いは六花が選べるんだよ。選んだ友達で六花は変わるんだよ」と言われたことがあります。
このとき私は無理してヤンキー仲間とツルんでいた気がします。
本当は優しい子、と言われたことが凄く嬉しくて泣きそうになったのを覚えています。
友達を選べ、なんて教師が言って良い言葉ではなさそう、それでも人間として人生の先輩として伝えたかった言葉なのだなと、今でも先生には感謝しています。

3年生の頃にはよく志望校が原因でハブというかイジメみたいなよく分からないことがありました。
元々頭が良くなかった私が進学校を受けることを、初めから勉強一筋だった人たちやツルんでいたヤンキー仲間はよく思わなかったのでしょう。
お前なんで○○高校受けるの?枠減るじゃん、とか直接言われたこともありますし、クラスで人気者だった□□が受けるんだからお前は受けるなよみたいなことも言われました。
それでも僕はそういう言葉に屈さずに志望校を受けました。そしてそういった言葉を投げかけてきた者は皆落ちました。

いろんなことがあって
自分を嫌いになった
なぜ僕だけがこんな目に遭うと
他人を羨んだりもしたさ
荒んだ心に刺さったのは
意外な奴の言葉だった

『あなたへ ~旅立ちに寄せるメッセージ~』より引用

旅立ちに寄せるメッセージの中にネガティブな記憶が隠されているのがこの曲を名曲にしている気がします。
実際この部分を歌ったときに初めて歌いながら涙が出てしまいました。

合唱曲を歌うのが何よりも好きでいつも全力で歌ってるタイプの人間だった(クラスに数人いますよね)ので、歌いながら泣くなんて意味が分からなかったのですが本当にあるんだなと驚きました。

愛と涙 そして知るだろう
人生という名の迷路の果てに
信じ合えることの喜びと
悲しみを知った分
優しくなれることを

『あなたへ ~旅立ちに寄せるメッセージ~』より引用

このフレーズがこの曲で一番好きです。
やっぱり人生を綺麗事にしない、隠されたネガティブな一面も含めてあなたの人生なのだと、そしてそれらをすべて愛することが大切なのだと。
いつまでも大事にしたい歌詞です。


COSMOS

やっぱり外せないですね。
もう単純に作詞作曲が神です。
前奏の1音を聴いただけで神曲が確定してます。

私はこの曲を中学2年生の林間学校で歌いました。
例年福島に行っていたのですが、私が行った2010年の林間学校を最後に母校では二度と福島に行っていないらしいです。

キャンプファイアのときに歌うということで練習していたのですが、当日は雨が降ってしまい中止。
しかし雨天の場合でも施設の体育館で歌えるということで、夜20時頃に真っ暗な体育館に1学年230人が集まります。

そこで配られたのは火を灯した蝋燭でした。

照明を消した中で全員でコの字になって、手に蝋燭を持って歌い始めます。

目の前にいる人、向こう側のクラスにいる人、みなが優しい光に包まれながら歌うCOSMOSは未だに忘れることができません。

当時の写真が卒アルにあった、綺麗
(身バレ待ったなし)

蝋燭の灯火がきらめく星たちに見えた。
よく響く体育館は広大な宇宙を感じさせた。
あれほど歌っていて気持ち良い場所はないと思う。
男声パートが輝ける部分があるというのも魅力かもしれない。
(私は今でも休日に全パート歌っているのだが…)


手紙 ~拝啓 十五の君へ~

この曲は私が2年生のときに開かれた3年生を送る会(卒業式の1週間前に行う劇とかもある少しライトな壮行会みたいな感じのもの)で聴きました。

私はこのとき生徒委員をしていて、この3年生を送る会の実行委員会も兼任していました。
基本的に裏方でスポットライトを当てるために体育館のギャラリーから会を見守る立場でした。

そしてこの曲は、知的または身体的なハンデを抱えている方が通う特別支援学級の3年生10名(にも満たないくらい)が歌っていました。

当時、私たち普通学級(という言い方もなんか嫌なのだが…)との接点はほとんどなく、廊下でもすれ違うこともほとんどなくて、こうした全校行事のときにくらいでしか会うことがありませんでした。
それでも中学生たちは容赦がありません。
彼らの背景などを想像もせずに誹謗・中傷を浴びせる。陰口を言う。ありもしない噂を流す。
私が付き合っていた彼女の弟が特別支援学級に通っていて「お前○○と付き合ってんだろ?弟ガ○ジだぞ、やめておけよ」とか言われたこともあります。

当時の私はなにも出来なかった。
何をしたら良いのか分からなかった。
ただ傍観することしかできなかった。
今でも思い出すと悔しい。
友人の陰口を止めることができたんじゃないかと。

その学校の中では弱者の扱いをされていた彼らが舞台に立って、目の前にいる同じ特別支援学級の下級生と保護者に向けてこの曲を歌った。

歌を歌うことが難しい方もいる。立っていることも厳しい方もいる。
そもそも言葉を出すのが難しいのに、それでも言葉にならない声を必死に出す方もいた。

私はそれを上からスポットライトを照らしていた。
普通学級の在校生を見ると指をさしたりしてクスクスとした声が聞こえてくる。

そんな彼らを見ても何もできない私はただスポットライトを当て続けた。

保護者は歌う姿を見て嗚咽に近い声を漏らしていました。

今 負けそうで 泣きそうで 消えてしまいそうな僕は
誰の言葉を信じ歩けばいいの?
ひとつしかないこの胸が何度もバラバラに割れて
苦しい中で今を生きている
今を生きている
 
今 負けないで 泣かないで 消えてしまいそうな時は
自分の言葉を信じ歩けばいいの
大人の僕も傷ついて眠れない夜はあるけれど
苦くて甘い今を生きている

『手紙 ~拝啓 十五の君へ~』より引用

同い年の同級生から笑い者にされて弱者の扱いを受けてしまう彼ら。
彼らは好きでそうなったわけではないのに。

私はそれでも彼らが必死に歌う姿を見て、彼らは今まで支えてくれた保護者に対して「もう大丈夫だよ。こんなに強くなったよ。今までありがとう。」という気持ちを伝えているような気がしました。

きっとそうだったと思います。
その日のどの人たちの歌よりも熱がこもっていて、エネルギーがあって私の心に強く響きました。

スポットライトを当てる役目は私しかおらず、周りには誰もいなかったため、一人で感動して涙を流していました。
人が歌っている姿で泣いたのはこれが最初で最後でした。
これ以上の感動はおそらくないです。
歌声にすべてが込められていました。


翼をください

私は小学生のときに吹奏楽部に所属していました。

そして県内の小中学校が集まって演奏(大会かも)する際に、開会式にこの曲を歌う時間がありました。

小中学生ですが吹奏楽部は同級生より肺活量も高く、発声練習などもしているため比較的歌がうまいです。

そんな人たちが立派な音楽ホールに1000人弱集まって一斉に歌う『翼をください』はとにかく壮大でした。
その日の演奏の出来とか演目は思い出せないのに、この『翼をください』だけを思い出すことがあるくらいです。


他に歌ったことがある曲

小学校は本当に記憶喪失ですね…
卒業式には『旅立ちの日に』を歌いました。
中学の卒業式は『あなたへ』だったので、生涯で『仰げば尊し』を歌ったことがないので歌詞もメロディーも分かりません……平成っ子かも…

中学校も毎年合唱祭がありました。

1年生 『空駆ける天馬』

なんか当時そんなに好きじゃなかったんですけど、今聴くと結構気持ち良いですね。
あと中1にしては難しい気がする。男声パートが声変わり時期にはキツいのに女声パートとの掛け合いは無理よ。

2年生 『時の旅人』

いやー好きです。今でもたまに歌います。
女声パートと男声パートの掛け合いが最高です。
私は声が低いので4部混成だとバスになることが多くて、中々メロディーラインのことが少ないのでこういう主役になれるところが好きです。
サビも男声パートメインなの珍しいですよね。

3年生 『はじまり』

今までの合唱曲の中でも嫌いな部類に入ります。曲自体はいいんですけどね。
今の今まで記憶から抜け落ちてましたが卒アル見て思い出しました。

リズムといいメロディーがとにかく複雑、さらにバスパートのハモりの音程といいマジで難しかったです。
これを完成度高く歌うのは至難の業だと思います。


高校の頃は芸術選択で音楽を取っていましたが、合唱曲を練習したことはほとんど無かったですね。
強いて言えば映画アラジンの『A Whole New World』とかですね。英語の歌詞で歌えるのかなり楽しいですし、カラオケとかでもハモり歌えるのは良いですよね。

独唱の発表で練習したものはキャッツの『メモリー』、イタリアの民謡『オ・ソーレ・ミオ』ですね。(他にもあった気がしますが思い出せません…) 
オ・ソーレ・ミオ』は前に日向坂46の渡邉美穂さんが番組で披露していて、「あぁ…推しが僕と同じ教科書で高校の音楽の授業を受けていたのか…」と泣きそうになってました。僕もこの曲が好きでカラオケでも歌います。喉が開いて良いです。

高校の音楽の授業は大体バイオリンやってるか琴やってるかで、声楽をあまりやらなかった気がします。

高校の合唱祭で何歌ったか思い出せないですね…

たぶん1年生の時は『栄光の架橋』だったんじゃないかな…もしかしたら違うかも…思い出せない…
何故かハモりが歌えるのでたぶんそうなんだと思います笑

2年生…合唱祭当日に熱出しちゃったんですけど、バスパートのリーダーやってたので無理矢理行きましたね。
歌ったのは『決意』という曲です。あまり印象には残っていないです。

3年生は『組曲 筑後川より 4.川の祭り/5.河口』を歌いました。

最後の年ということもあって結構気合い入れて練習してました。
一人で放課後残って練習してたくらいです。彼女がピアノ弾けたので他クラスなのに付き合ってもらったり…

ここまで読むと私がいかに合唱が好きかということが伝わると思うのですが、中高生の頃の私はとにかくスかしてます……黒歴史です……
合唱祭とかの行事なんかに全力で練習するのは意味ないっすよ、とか言いながらサボってたような人です…
あと自分が合唱上手いのも自負していたのか、練習なんてさほどしなくても出来るっていう自信も有りましたね。

あと何よりも嫌だったのが、高校のスクールカーストに準じた圧政です。
カースト上位の言うことは異論なく決定事項になります。
2,3限と3,4限の間に昼ご飯を早弁して、昼休みは丸々合唱祭の練習に充てると言ったら翌日からそれが正義です。

私はとにかくこういう各人の意見を無視した圧力政治が嫌いで、反発して高校生活を過ごしていました。
私の高校がイベントを重視する陽キャが多いのもあって、その正義が当然であって早弁して練習しないなんて有り得ないし、そもそもそんな選択肢が存在することすらも思い付かないくらいの陽キャしかいませんでした。

もう根が腐った陰キャの私は、昼休みが始まった途端にパンを片手に教室を飛び出して、よく体育館の横の階段に座って一人で昼ご飯を食べて、練習が終わる頃に教室に戻っていました。
でも帰宅部なので放課後は暇です。家でも暇です。
その時間でYouTubeで音源聴いて自主練とかしてましたね。
とにかく昼休みに昼ご飯を食べるという当たり前を奪われることが嫌でしたね。

3年生にもなると結構陽キャも人格者になってくるんですよね。周りが見えてくる。
僕は昼休みにまた体育館横でパンを食べて、それから練習に参加しても良いと言われたのでした。
まぁクラスの人からしたら嫌な気分ですよね。自分勝手なやつですし。
でもちゃんと音は取れるし誰よりも声を出して歌うし、挙げ句パートリーダーにされて背が低いのに音取りのために本番の隊列は一番後ろにされたりしました。
意外と陽キャはイベントで勝つためなら実力主義も認めるんですよね。

………ここまで来ると僕が高校生の頃にどれほどひねくれていたのかがバレてしまうのでここまでにしておきます。


大学生にもなると流石に…とお思いかもしれませんが、なんと我が母校理科大では朝の講義が始まる10分前に大学の校歌がキャンパス中に流れるんですよね。
なんとも愛校心を芽生えさせる洗脳のようで気持ち悪かったのですが、とにかく歌えればなんでも良いやという感じでよく口ずさんでました。
卒業式にも校歌斉唱があったのですが、ちゃんと歌詞を思い浮かべられていた数少ない学生の一人だったと思います。

神楽坂キャンパスの友人とその話をしたら、どうやら朝流すのは野田だけらしいということを知りました。
おそらく隣の宗教施設から放たれる号砲に対抗しているのだと推測します。

YouTubeにもあったし何より映像が謎で笑ってしまいました。
こうやって改めて聴くと、小中高大の校歌の中で1番格好良いかもしれません。
いや、これが洗脳教育の賜物か。
(※理科大を洗脳機関だと誹謗しているわけではありません。批判もしていません。素晴らしい大学だと思っております。)


と、とりあえず消える前のデータくらいは復活できた気がします。

合唱曲、良いですよね。というお話でした。(どこが?)

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