見出し画像

飽きずとも君の足らぬ日々


 2022年、3月13日、月曜日。今日は兄の一周忌法要の日。実際の命日は18日だけど、少し前倒しで。今日の日記を書きます。いつかの私を助けてくれる文章になりますように。

 9時30分頃起きた。よく寝た。途中、近くを父が歩く音で目が覚めたけど。最近小さな物音ですぐ起きる。すぐ起きるなあ、なんて考えてると眠気が去っていってしまうので、去る前につかまえて、二度寝に入らなければならない。

 ブランチにパンと苺とオレンジを食べた。化粧をした。法要なのでいつものような濃い化粧はだめ。でも1時間かけてしっかりと。自分が自分に戻っていく感覚。心の中が澄んでいく。かわいくてきれいな私の愛する化粧品たち、いつもありがとう。

 喪服を着る。顔も知らぬ曾祖母のお下がり。ジャケットは姉のもの。どちらも少し私には小さい。母は心做しか元気がないように見えた。父はいつまでも玄関のある2階に上がってこないし、車を出したら事故を起こしそうになるし。困った。

 祖父母を迎えに行く。祖父母のことは苦手。でも情があるのがいちばん厄介なこと。心の底から憎めたらどんなに楽か。寺に向かう車の中はやんやうるさい。どの道を通っていくか。二号線?バイパス?センターの横の道を通る?たったそれだけのことで、父と祖父と祖母は揉めに揉める。葬式のときも、初盆のときもそうだった。もっと穏やかに厳かに過ごしたい日なのにな。

 法要が始まる。南無阿弥陀仏、だからなに?供養は私の中にある、私だけの方法でするしかないのね。変わり者の父は法要のあいだもずっとそわそわし、ぎこちない行動ばかり。母はすぐに1人でしくしくと泣き出した。私はあんまり泣かなかった。初盆のときもあまり泣かなかったから、ティッシュは要らないだろうと思って鞄に入れなかった。お経を聴きながら絢爛な寺の装飾品を眺めていた。兄はどこにいるのだろう。いたんだけどなあ。運転席に、食卓に、玄関に、歩道に。兄の遺影が、額縁の中で少し曲がっていた。

 長い長い読経が終わる。母が僧侶にお布施を渡した。3万円。3万円か。祖父が僧侶を呼び止め、自分が入る墓の相談をする。もう先が短くないから、と。いつかはいなくなるのか。ここは通過点。

 せっかちか祖父母が先に寺を出ていく。続いて父も。母は御手洗に行った。部屋に1人になった。急に涙が出てきた。1人でないと、もう私は泣けない。新しい春の手前、立ち止まる時間。1人で。あの部屋に兄がいるとは思えなかった。だって遺骨も、まだうちにあるもの。

 1年。1年か。ああ、兄と話したいよ。私の1年がどうだったか、聞いて欲しい。いつものあの、人の話を聞いてるんだか聞いていないんだか分からないような表情で、ただここにいてくれるだけでいいからさ。そしてあなたの1年がどうだったか聞かせてよ。何をしてる?何もしていなくてもいいよ。私もあなたの話を聞いてるんだか聞いてないんだか分からないような声でしずかに相槌をうつよ。

 それでは、また命日にもnoteを出したいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?