Twitterのアカウントと人格の話

突然だがこの記事を読んでいる諸君はTwitterを利用しているだろうか。
おそらく大半の読者の回答はYesだろう。
もう一つ聞こう。「あなたはいくつアカウントを持っていますか?」と。
こちらもそこそこの数の諸氏が複数個という回答を出してくると想定している

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上記のグラフは所持アカウントの個数についてアンケートを実施した結果である。
母数が162票と少ない上に投票者の属性が偏っている認識のため、この結果がすべてだとは思っていないが、それでも大半のユーザが複数のアカウントを所持しているということが読み取れる。

複数のアカウントの運用方法だが、基本的にそれぞれのアカウントで固有の役割を果たしている(リアル友人との交流・趣味の共有用など)と考えられ、いずれも向いている方向性が異なっているだろう。
※規制垢は例外。ただし2010年代ならいざ知らず現代において投稿規制がかかるような使い方をするユーザがどれほどいるのかは疑問が残る。

ということでそれぞれ固有の役割を果たしているのがアカウントという存在であると考えているわけだが、これは言い換えると

アカウント=リアルの主人格に対して特定の目的・指向性で切り出した存在

ということになる。

時に、読者諸君はTYPE-MOONというゲームブランドからリリースされている「Fate」シリーズをご存じだろうか。

こちらのシリーズは万能の願望器である「聖杯」の獲得を目指して過去の偉人たちを使役してバトルロワイアルを繰り広げる、というのが大枠のストーリーなのだが、背景設定の精緻さが大きな魅力の一つになっている。
その背景設定の一つが「サーヴァントシステム」と呼ばれるものである。
サーヴァントとは上で述べた過去の偉人を使役する際の呼称のことであり、偉人を呼び出す際の制約事項を総称したものがサーヴァントシステムである。

突然聞きなれない呼称を引き合いに出したのはなぜか。
これは上述したアカウントの特性と類似しているためである。

まずは上記のWikiから引用した以下の文章を読んでいただきたい。

サーヴァントシステム英霊を完全な形で召喚するのは聖杯の補助があっても容易ではなく、英霊を丸ごと霊体として再現するのは人間の魔術師ではリソースやメモリが足りない。「役割に即した英霊の一面」というものに限定、英霊が持つ側面の一部だけを固定化する事でその負荷を抑えている。それが七つのクラス。一人の英霊の様々な側面を利用できる反面、同じ英霊が争うこともあり得るので、英霊召喚システムの長所とも短所ともいえる。

専門用語も多いが、要約すると
・サーヴァントの基となる偉人はすごい人たちなので完全再現は無理
・制約事項を設定し当てはまる部分だけを再現したものがサーヴァント

ということである。
これはアカウントとアカウントを操作する本人の関係性に近しいと考える。
すなわち、

・ネットの世界において現実の「自身」を丸ごと一つのアカウントとして再現するのはSNSの仕様制約ではリソースが足りない。
・「役割に即したユーザの一面」というものに限定、ユーザが持つ側面の一部だけを定義する事で実現している。

というように読み替えられる。

また、以下のような説明もある。

サーヴァントは一人の英雄の一つの側面を抽出して召喚するものであり、ヴラド三世のように祖国を護った領主としての面を抽出された場合と、狂信的な騎士や武人としての面を抽出された場合で同一クラスでありながら別人のような姿で召喚されることもある。


これをアカウントに読み替えて文章を書き換えると以下のようになる

アカウントは一人の人間の一つの側面を抽出して作成されるものであり、当人の日常の面を抽出された場合と、趣味に生きる面を抽出された場合で、同一プラットフォームでありながら別人のようなアカウントに見えることもある。

これらの共通点から、私はTwitterや各種SNSのアカウントを現実世界のサーヴァントシステムであると考えている。

さて、ここから言いたいことは何か。
それは「アカウントに過度に依存しすぎないように気をつけるべき」ということである。

前述の通り、サーヴァントと偉人の関係は サーヴァント∈偉人 (偉人にサーヴァントの要素は包含される)である。また、アカウントの持ち主とアカウントの関係も同様に アカウント∈持ち主 である。
すなわち、アカウントは持ち主に従属するものである。

当たり前だと思うかもしれないが、意外とこの部分が揺らぎかけることはあると思っている。どういうことかというと、アカウントに引っ張られて生活に影響が出る可能性があるということである。

昨今の情勢的に、我々は人とのつながりをSNSに依存してしまいがちである。もちろんつながりを持つことは悪いことではない。だが、他の依代が選べない時世でもあるため、どうしても日常を侵食するレベルでアカウントにのめり込みかねないと考えている。こうなってしまうと現実の営みに支障をきたす恐れがある。

こうならないためにも、「アカウントはあくまでも現実世界の一側面でしかなく、メインは現実世界の自分自身である」ということを常に頭の片隅に置いておくべきだと思う。飲み込まれないように気をつけようね。


しばしば「立夏」に寄りすぎている自覚のある自分自身への自戒も込めてここに記す。


久しぶりに真面目な考察記事を書いた。
メインで書きたかった部分と結論部分の検討がバラバラだったため、論理展開がどうしても微妙な気がする。別にサーヴァントのくだりなくてもその結論は導けるよね?みたいな。
とはいえ他の概念との共通点を挙げて逆の目線から共通点を挙げることで説得力を高めたと考えれば悪くはないだろう。

最後に、文章中で触れたFateシリーズの第一弾である「Fate/Stay Night」について、現在スマートフォン向けアプリとして配信されている。

こちらはノベルゲームでありヒロインごとに3つのルートがあるのだが、そのうちの1つのルートが無料である。リンクを張っておくので興味を持った諸氏は是非遊んでほしい。



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