ランチの時間


昼休みを知らせるベルが鳴る。
ふぅ、とため息を一つつき、Wordを閉じるが早いか職場を後にする。

朝一の会議で先輩から資料のダメ出しをもらいどう直すか考えあぐねていたこともあり、お世辞にも晴れやかな気分とは言えない状態であった。
昼休みくらい仕事のことは忘れようとイヤホンを装着するが、気はまぎれない。
「お昼、どうしよう……コンビニで買って作業しながら食べようかな……」

そんなことを思いながら横断歩道の前で待っていると、自動車や電車とは違う不思議な機械音が聞こえた気がした。思わずイヤホンを外し周りを見渡すが、そこに広がるのは普段の喧騒だけであった。
音響信号の聞き間違いか、などと考えながら再びイヤホンを着け歩き出そうとすると、

「寿司も食べたいし、麺も食べたいな。あとは米!こっちの米はもちもちして美味しいんだってね」

初来日のような台詞がごく自然な日本語で聞こえてきた。
そのあまりのちぐはぐさに改めて周囲を見回す。そこには浅黒い肌の女性がロマンスグレーの白人男性にスマートフォンを見せながら話している姿があった。

「ところで、財布は持ってきたか?この国の外貨に両替をしなければならん」
「……えっ、ドクターの奢りじゃないの?!」
「教授にたかる生徒があるか。そもそも人間の貨幣など持ち合わせていない」
「給料もらってるでしょ!」
「基本現物支給で話を通してある」
「何の?!」
男女二人組はそうこう言いながら銀行の方へと消えていった。

彼らは何者だったのだろうか。どこから突っ込めばよいのか分からない会話は一体どういう意味なのだろうか。そんなことを考えながらぼんやりしていると、信号はが赤に変わっていることに気づく。しまった、わたり損ねた。
しょうもないことに気をとられてしまった自分を呪うとともに、ふと子供のころに好きだった漫画家の言葉を思い出した。


「SFというのは『すこし ふしぎ』の略なんですよ」

この日常は紛れもないノンフィクションだが、少しくらい不思議なことがあってもよいだろう。事実は小説よりも奇なりとも言うし。
そんなことを考えていたら、なんとなく気持ちが高鳴ってくるのを感じた。
作業が残っていることに変わりはないが、それはそれ。30分考える時間が増えたところで修正内容に大差はないに決まっている。

「やっぱり今日のお昼はちょっと贅沢しちゃおうかな」
音響信号が鳴り始めるや否や、私は寿司屋に向けて足を踏み出した。




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こちらの作品はサークル「オールトの雲」様の短編集「宙を眺めてはひとり旅」の中の一遍である「ニホンの食べ方」から着想を得たものです(作者様了解済み)。
そちらも是非お読みいただければ幸いです。



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