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子どもの写真を撮りすぎないコツ①〜写真ではなく言葉で共有しよう〜

小さな我が子と二人きりで日中を過ごすママ。今日はここに行って、これができるようになって、友達と会って、これを食べて…と、何となくパシャパシャと子どもにスマホを向けていることってありませんか?

この瞬間も!あの瞬間も!と、どんどんスマホにたまっていく写真…。前回、写真整理をしなくてもアルバムはつくれる!と書きましたが、やはり写真が増えれば増えるほど整理や管理が大変で、アルバム作りが面倒になるものです。

覚えているのは自分だけという孤独感

「こんなかわいい姿、パパにも見せてあげたい!」

「日々成長する姿を記録しなきゃ」

これって自然な感情ですよね。子どもがかわいすぎて、そして成長が目まぐるしくて、その感動とスピードを一人では受け止められないんです。

誰かに知らせなきゃー!独り占めしては申し訳ないー!毎日の姿なんて覚えていられないしー!写真写真!!

ただ、誰かに伝えたいという気持ちの奥には、「自分しか見ていない」「覚えていてあげられるのは自分しかいない」という焦りや孤独感もあるんじゃないかな?と思います。

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1番の共有方法は話すこと

息子が初めて一人でブランコに乗った日。危なっかしくて、写真なんて撮れませんでした。

帰宅した夫に「ブランコ乗れたんだよー」と話すと「おー、すごいねー。今度ブランコがある公園行ってみよー」と。

どんな風にブランコに乗れたか、どんな表情をしていたかは伝わりにくいけれど、分からないからこそ「自分も見てみたい」という気持ちが湧くんだなーということに気づきました。伝えすぎない良さもあるんだ!と。

写真を見ると、なんだか分かった気分になるんですよね。こんな表情なのか、こんな風にブランコに乗ったんだ!了解!ってね。

私も話をすることで「感動した経験」は共有でき、「覚えているのは自分だけ」という重責から解放されました

もし、夫婦や親子の間で「なんでも写真に撮って報告!」というスタイルができあがっていたら、会話できてるかな?言葉で伝えられているかな?と振り返ってみてください。

写真がなくても言葉で共有すれば大丈夫。そう思えると、むやみに写真を撮ることがなくなるかもしれません。

写真には残っていないけれど繰り返し語られる、子どもの頃のおもしろエピソードってありますよね!?それこそが家族の1番の思い出かもしれません!


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