見出し画像

「女子力」なんて言葉は令和4年で死語にするべきだ

世の中には「女子力」という言葉がある。

この言葉をいきなり言う馬鹿を見るたびに、僕はその馬鹿を東京駅のラーメン屋さんまで引きずり回して、熱々のラーメンが入っている鍋に顔を沈めた後に、今度はそいつの家まで引きずり回して草むしりでむしった草を全部洗濯機の中に入れてやりたい気持ちになる。

自分が悪い意味で変わっている人のように扱われているように感じるからだ。


ピカチュウがルージュラやラティアスに「ピカッ!(女子力高いね!)」なんて言ってたら、そいつはピカチュウなんかじゃあない。

クソチュウだ。

僕は迷うことなく、そのクソチュウをヴァニラアイスがイギーをボコボコにしたあのシーンを再現するかのように、クソチュウの腹に何回も蹴りを喰らわすだろう。

(ポケモンには性別があり、オスしかいないポケモン、メスしかいないポケモンがいる。ルージュラやラティアスは後者である。)


それでは、今から安易に女子力という言葉を使う輩をセーラムーンと月に代わってお仕置きをするために綴っていく。

「女子力」とは一体何なのか?

まず、そもそも「女子力」とは何なのか調べた見たところ、wikipediaによると、

女性らしい態度、自己の容姿磨きを重んじていて、男性を惹き付ける力・女性らしさ・気配り力・家事能力

と記載されている。

さらに、2009年の「ユーキャン新語・流行語大賞」にノミネートされたそうだ。


男性から好意を向けられやすい体型にしたり、ファッションを装うといったことが女子力という意味で使われるそうで、ようは男性に媚を売るための能力を女子力というみたいだ。


ちなみに、ジョジョ5部のボスの娘のスタンドである「スパイス・ガール」の由来になったスパイス・ガールズには「ガールパワー」という歌があるが、

少女同士の結束、少女と若い女性の中の独立独歩の態度

を意味しているので、僕がムカついている女子力とは意味が違う。

それ、本当に「女性だけ」がやること?

この定義を見てさらに僕の心の怒りの炎がメラメラと燃えてきた。


自分を磨くことはシスジェンダー男性の僕だってやる。

2~3ヶ月に一回はホワイトニングをするし、3ヶ月に1回は美容室に行くし、毎日スキンケアをする。

ネイルだってやりたいからやる。


馬鹿が幻聴を聞いたかのように「女子受け狙ってて草」とか言ってきそうなので、馬鹿が分かるように説明すると単純にモテたいからとかじゃなく、好きでやりたいからやる、なりたい理想像があるからやるのだ。


お前らだってこんな人みたいになりたいとかあるだろ。ジャニーズの〇〇とか、NiziUの〇〇とか。

それと同じ感覚だ。


そして、気配りは男性だってできる人はできる。

風邪でせきがひどい人にのど飴を差し出したり、具合が悪そうにしてる人に「今日は休んでいいよ」と言える男性だっている。


家事も一人暮らしの男性ならやるだろう。

家事とは「家」に住んでいる人の仕「事」なのだから。

一人暮らしなら、家に住んでいるのは男性ただ一人だし必然と男性が家事をやることになる。


女子力で定義されているものって女性だけがやるものじゃないのはよく考えれば分かる話だ。

女子力って言葉言い出したやつ頭悪すぎだろ。


女子力って同性に対するハラスメントにもなる言葉

それに、この女子力って同性に対してハラスメントになりうる言葉だろう。

女性らしさや女性らしい態度も女子力を評価するものになっているそうで、いかにも女らしさを女性に押し付けるような意味合いだ。


この女子力で料理ができる・家事ができると女性であるということだとすれば、料理ができない・家事ができない女性は女じゃないということになってしまう。

性教育関係の資料に女性の特徴は具体的に記されているが、女性は料理が得意とか家事が得意などどは記載されていない。

じゃあ、なんで女性と料理・家事が結びついているのかというと、頭の悪い先人たちが「女は家にいろ、家のことは女がやるのが当たり前」とどう頑張っても意見にできない感想を何度も言ってきたからだ。

そして「女らしさ」と称されて、「女らしさがない」とどこの馬の骨かも分からない馬鹿に見なされて、傷付けられてきた女性がいる。


かなり前にはテレビで女性にお題を出して料理を作れるかどうかを試すひどい番組も放送されていたぐらいで、今思えばあれを放送したディレクターやテレビ局はありえない。

本当にはらわた煮え繰り返る事案だろう。


料理が嫌いで、スーパーっで売ってる3袋入りのお湯に入れて作ることができるうどんにトッピングだけで済ませる女性もいれば、ウーバーイーツで食べたい料理を頼む女性だっているだろう。


自分で「女らしさ磨きたい!気になるカレを落としたい!よーし、頑張ろう!」と自分で思うのは自分の勝手だが、それを他人に押し付けるのは「死ね」と同じ悪口にもなるということを忘れてはいけない。

何度でも書いてやる。

感想は人に押し付けてはいけない。

これを安易に使う人は性別関係なく自分が加害者になっていることに気付け

僕は「女子力が高い」なんて言われたくない。

そんなこと言われたら、その言葉を発した馬鹿の顔に「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラーッ」(悪魔の666オラ)と顔の造形が分からなくなるぐらいラッシュをぶちかまさないといけない。

(ゲシュタルト崩壊が起こった方、すいませんでした。)


僕はそもそもシスジェンダーの男性だし、「女がやることなのに男のお前が何やっちゃってんの?」とマイクロアグレッションをされているように聴こえるからだ。

「女子力」という言葉を安易に使っていると、性別関係なく自分が加害者にいつの間にか、なっている。


被害者はただでさえ被害を訴えずらい状況にあることを忘れてはいけない。

100&相手が悪いことも「自己責任論」を押しつけて被害者をさらに追い詰める馬鹿が非常に多いからだ。


そして、男性に限っていえば「男は小さいことでクヨクヨしてはいけない」と有害な男らしさの呪いがあって尚更自分の辛さを表に出さないことが多い。

きっと分かりずらいだけで、実際には「女子力が高い」と言われて嫌な思いをしている男性は世の中にたくさんいるであろう。


「女子力」という言葉を安易に使う人が学ばないといけないのは、「女性が喜ぶデートの仕方」でもなく、「女性が喜ぶセックス」でもなく、「気になるカレを落とすモテメイク」でもなく、「彼の胃袋を掴む料理の作り方」でもなく、「ハイスペ男性と出会う方法」でもなく、ジェンダーだろう。


らしさを人に押し付けるのは、ジェンダー・ハラスメントになるのだ。

セクハラやジェンダー・ハラスメントは仕事ではやってはいけないと公式の書類に記載されてはいるが、これらの行動は常にやってはいけない。

人権侵害の一種だし、そもそもこれは性暴力だからだ。

どんな性的なことで相手を不快にすることもあってはならない。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?