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フットボール・クロニクルズ


 サッカーは1人じゃないからいい。ゴールを決めた後も、試合に勝った後も必ず仲間のもとに戻る。どこにいてもそこがホームであり、いつだって僕たちは自分を迎え入れてくれるホームを探し求めている。

 最近はスタジアムの勉強ばかりをしていたので、場所がいかに大事かということをつくづく感じさせられる。

 スタジアムは、まさしくクラブやサポーターにとって“ホーム”だ。

 僕たち学生レベルの試合であれ、ホームとアウェイの差は身をもって体感している。実際、応援の数や見慣れたピッチの環境が試合の結果を左右する大きな要因であることは十二分にわかっているのだ。

 今は、スタジアムがサッカーだけでなく、いかにして人々の生活の基盤となりうるか、つまりみんなにとっての“ホーム”のような居場所にするということを考えているのだが、サッカースタジアムに限らず今の日本社会の中で自分の居場所と言えるだけの場所がどれほどあるだろうか。

 都市は発展を遂げ、電車に新幹線、車が走る道路にと、それは移動に便利な交通網がそこらじゅうを張り巡らせている。実際、日本中どこへ行くにしたってそれほどの不自由はなくなった。

 それでも贅沢な僕たちは、相変わらず時間とお金を削ることに躍起になっているのだが。 

 移動が便利になって、僕たちは一体どこへ向かっているのだろうか。渋谷や新宿の交差点で人を避けるのに必死になりながら、そんなに急いでどこに行くのと思うわけだ。

 結局、帰る場所もわからなくなってしまっている。まるでロマのジプシー、さすらいのカウボーイじゃないか。

 人の歴史は悲しいもので、過去には本当に帰る場所がなくなってしまった人たちも存在した。

 アイルランド人は、18世紀を皮切りに宗教的迫害やジャガイモ飢饉など事あるごとに祖国からの出国を余儀なくされる。彼らが向かったのは新大陸、アメリカだ。約束の地であったアメリカ、自由の国は、ところが彼らには手厳しい環境となってしまう。

 ここでも、宗教的価値観の違いや移民という立場から、差別と辛い労働の日々。帰る場所もなく、安住の地も見つからない。心の休まりといえば、そんな思いを音楽に込めるくらいであった。いつしかそれは文化になり、守られ、伝えられてきた。

 アイルランド人の音楽は、世界中のいたる所の音楽と溶け込み、実のところ現在の音楽のほとんどのルーツに深く関わっている。

 過酷な歴史が作った悲しくも優しい音楽を聴きながら、思い出す風景、そこに味や匂いはあるだろうか。

 今もきっと、帰る場所を探してみんな生きている。

 もしかしたら、初めてサッカーボールを蹴った公園の芝生や友達ができた教室の片隅から、僕たちは一歩も動いていないのかもしれない。

 そこに帰るためには、必死に走ってゴールを決めて、試合に勝つまで戦い続けなければいけないだろう。

 そろそろ話も終わらせたいところなので、ライ・クーダーかタウンズ・ヴァン・ザントの曲でもかけておこう。

 そうすれば、長いロードムービーの終わりのように、まだまだ続く道のりと旅立ちに向けて少しは後味が良くなるってものだろう。





#サッカー
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