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アイソレーション・タンク体験リポート


もうけっこう前の話になりますけんども、アイソレーション・タンクを体験してきたの。

というても『何それ? ナムコの新しいアーケードゲーム?』と首をひねる御仁も多数いらっしゃると思うんでカンタンに説明しますとですな、アイソレーション・タンクちうのは、感覚を遮断するための装置です。フローティング・タンクとも呼ばれておりますナ。

人間が横になって入れるぐらいの大きさのタンクの中に高濃度の塩水(正確にはエプソムソルトという硫酸マグネシウムの飽和水溶液)が張ってあって、その上にただずうっとプカプカ浮かび続けるっていうモンです。タンク内は真っ暗なうえに無音で無臭、塩水もちょうど人肌ぐらいの温度にあっためられているので、中に入ると視覚/聴覚/触覚を遮断された格好になるワケですナ。

とまぁこう聞くと何やらスピリチュアルめいた、瞑想やヨガやサイケ・カルチャー的な世界観を連想するかたもおられるでしょうが、実際コレ、そーゆー流れを汲んで発明されたシロモノです。

ジョン・C・リリーという脳科学者が開発したんですが、このひとは生涯にわたって人間の変性意識状態を研究してた方で、しこたまドラッグやってからこのタンクに入るっていう実験をずーっとやってたんですよ。ちなみにこの実験をもとにした『アルタードステーツ』っていう映画があるんですけど、“そうはならんやろ”な超展開の嵐で死ぬほど笑えるんで、興味ある人はぜひ観てみてください。アイソレーション・タンクはけっこう色んな作品に登場しておりまして、『ストレンジャー・シングス』とか『銀河英雄伝説』とか『serial experiments lain』なんかが有名どころですな。長尾謙一郎の傑作サイケまんが『PUNK』にも重要アイテムとして出てきます。

まあまあ、とにかくアイソレーション・タンクっつうのはそういう文脈のマテリアルです。そんなんめっちゃ面白そうじゃないですか。基本的な効能としては体内機能の活性化や骨格矯正、リラクゼーション効果などなど心身を整えてくれるそうなんですが、中には幻覚を見るなど神秘体験をする人もいるという。

あとオノヨーコさんや、かの名作SF『アンドリューNDR114』の主演俳優として名高いロビン・ウィリアムズさんも所有してたっつうじゃないですか。ロビン・ウィリアムズさんなんかアレですよ、『もし君が60年代のことをよく覚えているというなら、君は60年代に現場にいなかったんだね』っていう発言が残ってるほどの、サイケ・カルチャーにズッブズブだった大変なスキモノですからね。そんな人がもう熱狂的にハマっていたモンなんてオモシロイに決まっておるではないですか。

ほいで調べてみると、都内にはいくつかアイソレーション・タンクを体験できる施設があると。こりゃもう、何がなんでもやるっきゃない。やるっきゃ騎士(ナイト)ですよ。みやすのんき先生の名作マンガですよ。昔、“みやすのんき先生はめちゃくちゃ喧嘩が強くて超武闘派らしい”ってツイッターに書いたら、ご本人からリプライ飛んできてビックラしたことがありましたけどもね。何の話? とにかくこれはもう絶対にやるしかないと決意を胸に拳を固く握ったんですよ。

しかし僕は連れション文化圏の人間(by 映像研の金森さん)ですので、ひとりっきりじゃそんな場所とてもじゃないけど行けません。というワケでお友達を誘うことにしたんだす。ARIKAちゃんという画家で彫り師の友人がおるんですが、彼の目の前で嗚咽しながら『アイソレーション・タンクを体験したいがどうしてもひとりでは行けぬ。ついては随伴してはくれぬか。もし貴方が断るのならば私はこの場で舌を噛んで自決も辞さない構え』と泣き落としをはかったところ、ひとつ返事でスムースに快諾してくださったの。そして私の涙は止まり、空には大きな虹がかかったの。そのときスピーカーから流れてたのがオザケンの『今夜はブギー・バック』だったわ。あの胸ときめくような瞬間を、きっと私、死ぬまで忘れないわ。

デネ。何がデネだ。いろいろパソナコンでホームペジーを閲覧して、『ここがいいんじゃねえか』ってトコを見つけたンで、メール予約して、行ったン。住宅街の片隅に立つマンションの一室にそれはありまして、『え? 本当にここで合ってんだよね?』とかいいながらおっかなびっくりチャイムを押すと、オーナーの方がお出迎えをしてくださいました。

で、リビングに通されたんですけども、その時点でまぁまぁヤバくて。言っちゃあフツーにイケてるマンションの一室なんですけども、前述した『アルタードステーツ』のDVDとか量子力学の本とかがね、壁に立てかけてあるんですよ。棚に差さってるんじゃないんだよ、床に直置きで壁に立てかけてあるの。オーナーさん的にはディスプレイ感覚なんでしょうけども、まぁちょいヤバな光景ですよね。

んで、ちょいとしたアンケートを書かされて、軽い問診というかカウンセリングみたいなのを受けるんですけども、まぁこのオーナーさんもちょいヤバなんですよね。言葉を選んで書きますけれども、瞳孔がバックリ開いてる系のかたなんですよ。つっても別に病的とか犯罪臭がするとかそういうことじゃないですよ、ジャパネットたかたの社長とか、さかなクンさんとかみたいな感じで、物腰も柔らかだしめちゃくちゃ良い人オーラ出まくりなんだけど、すげえナチュラル・ハイなワケ。そのオーナーさんがもうずっと完全に澄み切った目で、身振り手振りを交えながら、ブアーッとまくし立てるんですよね。

『ハイ、えーと、それじゃあのー! これからお二人にはアイソレーション・タンクの素晴らしき世界を体感していただくワケなんですけどもー! お二人がどういう経緯でコレを知ったかっていうトコ、もし良かったら教えていただいてもいいですかねー!?』

『やー、あの……それこそあそこ、壁に立てかけてある“アルタードステーツ”。あの映画観て知りました』

『なるほどなるほどなるほどなるほどなるほど〜〜〜! で、今回はどういう効果を期待してるのかっていうの、もし良かったら教えていただいてもいいですかねー!?』

『や…あの…結構肩こりとか骨盤の歪みとかある方なんで、そういうのが改善されたらいいなぁ、みたいな』

『はいはいはいはいはいはいはい。あのね、ウチのタンクで使ってるエプソムソルトはね、身体にいい成分がいっぱい入ってますから。もうこれ美容にも健康にもいい』

『あとメンタルにもいいとか聞いたんで。なんかコレで頭ん中がデトックスされたらいいなぁ、と』

『デトックス! デトックス! いい表現ですね、デトックス! まさにそのものズバリですよ! これはもうね、メンタルにもマインドにもスピリットにも効きますから! もうね、すごいですよ! 本当にすごいから、ワァーって感じになっちゃうと思いますよ! ワァーって!』

みたいな。マジで。“ワァーって!”のとこなんかもう実際に両腕広げちゃってたもん。ヤバイヤバイ、飛んじゃう飛んじゃう。とにかくもう全然止まらないの。

んで、こっちもせっかくだから色々ご質問させていただいたんですけども、こちらの施設にあるフローティング・タンクはジョン・C・リリーが開発した初号機タイプだそうで、日本でもかなり早い段階でこれをGETして研究していた第一人者のかたに譲っていただき、それからさらにご自身でも改良を重ねに重ねて今日に至る…的なことをおっしゃられていました。

まぁそんなこんなでいよいよ体験。と相成るワケですけども、トイレを済ませてからシャワールームで身体を清めます。シャワールームつっても要は普通のマンションの風呂場ですから、なんかすごいヘンな感じなんですけどね。ほいで薄暗い部屋へと入ると、ガンダムの足みたいな形のタンクが鎮座ましましておりまして、そん中へ入ります。人肌よりほんの少し暖かいかな? ぐらいのヌルヌルする塩水が30センチほどの高さまで張られておりまして、そこに身体を浸し、みずから扉を閉めます。そうしてやってきたのは、


でした。何も見えねえ暗闇で、聞こえてくるのは己の息遣いや水音ばかり。身体に触れるのは生暖かい液体だけ。外界からの遮断されっぷりに思わず笑ってしまいます。アイソレーション(孤独)とはよく言ったものです。ちなみに塩分濃度がすごいんで溺れる心配はナッシン。沈むどころか寝返りを打つのすら難しい。このまんま寝てしまう人もいるぐらいだそーです。僕は180分コースを選んだので、三時間にわたって無を漂うわけです。気分はさながら胎内回帰。で、ものの数分もしないうちに、突如として自分の身体がどんどん流されていく感覚に襲われました。


えっ!? 川!?


と思って手を伸ばして壁に触れるとその感覚は消失するんですが、手を離すとまたすぐに川。こんだけ外部からの情報が遮断されると、脳がバグって錯覚を起こすんですね。世界とは、感覚器官から得た情報を編纂して脳が作り上げたものなんです。すべては脳の中で起きているんです。

こう考えていくと行き着くのは“自我の存在”ですよね。

俺という存在自体、脳が作り上げた幻想なんじゃないかという勘繰りです。

この勘繰りは非常にクラシカルなもので、心理学者のウィリアム・ジェームズは1890年の著書『心理学原理』において『自我は心理学が扱うべき問題の中でもっともわけのわからない難問』と書いています。

これに対するアンサーは未だに決定打と呼べるものはないのですが、たとえば脳科学者のダニエル・C・デネットは“自我とは物語的重力の中心である”といっています。内的自我などというものは存在せず、使用者にとって害のない幻、役に立つ虚構を生じさせる複数の並行的プロセスがあるのみだといっているんですね。

ちなみにブッダもこれを同じことを言っていて、人間の苦しみは自我という誤った観念への執着によって引き起こされると説いています。すなわち苦しみから解き放たれるためには自我を捨て去る必要があると。これが俗にいう“無我”ですね。

話が盛大にスリップしましたが、そんなようなことを薄ぼんやりと思っているうちに流れも程なく止まりました。そうしてやってきたのは、



でした。途方もない強烈な『無』です。たとえていうなら眠りに落ちる直前の一瞬がずうっと続いている感じ。そして次に起こったバグは、時間感覚の消失でした。三時間なんにもしないで浮かび続けるなんて暇なんじゃねーの、とか思ってたんですけど、もうそういう次元じゃないのね。時間の感覚そのものがもうなくなっちゃうんですよ。

アインシュタインの特殊相対性理論を紐解くまでもなく、時間という概念は非常に曖昧かつ主観的なものです。物理学者のカルロ・レヴェッリは『時間は存在しない』といっています。時間とは一方向にのみ一定のペースで進む、不可逆的かつ普遍的な原理ではなく、人間が相互作用する世界との間に生じさせるアフォーダンスであるというワケです。

ちょっとむつかしい話になりますが、この宇宙がビッグバンによって誕生したというのはどなたもご存知ですよね。

では、そのビッグバン以前には何があったのかというと、ものすっげー小さい、原子よりもっと小さい素粒子が一個あったんです。

その素粒子がなんかの拍子で爆発し、どんどん広がって今の宇宙ができたんですよ。だから生命はもちろん、時間とか空間っていうのもすべてその素粒子の中に全部詰め込まれてたんですよ。

全てのことが同時に起きていたワケです。

こういう話すると、“お前スピってんの?”と思う御仁もあるでしょうが、これ全然スピとかじゃないですよ。れっきとした科学の話です。まぁ昨今はこのへんの話がスピ界隈に誤用/妄用されたりしてますけどね。

またしても話が盛大にスリップしてしまいましたけれども、時間感覚というのは外部の情報によって生じるワケです。気温が変わるとか、陽が傾くとか、音楽が流れるとかね。アイソレーション・タンクに入ってそういう情報を全部遮断すると、時間の感覚がなくなっちゃうの。一秒も一分も一時間も一年も、ぜんぶおんなじじゃんみたいな。

僕が好きな『ビフォア・サンセット』っていう映画で『時間なんて存在しない。まやかしだ』ってセリフがあるんですけど、なるほどこういうことかと合点がいきましたね。

まぁ今ダラダラっと書きましたけどこれ全部後付けです。こんときはね、マジでなぁ〜んにも考えられなかった。

ときたまパッと雑念が浮かんだりはするんだけど、それを展開させて何かを具体的に思考するっていうことができない。半ば強制的な瞑想状態、マインドフルネスですね。

ちなみにこんとき、僕の頭に浮かんだ雑念は『アル・パチーノ』『徹子の部屋』でしたね。なぜ。まあまあ、そんなふうに無を揺蕩ううちに、終了を告げる音楽が流れ出して、僕はふたたび現世に舞い戻ったんですけども。

体を拭いてリビングに戻ると、オーナーさんとの対話がふたたび始まるんですけども、今までツラツラ書いたようなことをしゃべると『そうでしょう、そうでしょう』みたいなコト言ってました。僕だけ特別なトリップをしたとかではなく、全然よくあるコトなんでしょうね。

あと何か肩とか腰が妙にダルい感じになったんでその旨を尋ねると、『身体の悪い部分が反応して、自ら治そうとしているのです。一ヶ月ぐらいにわたって身体じゅうに効いていきますよ』みたいなこと言ってました。

ホントかよって感じですけどね。

まぁ自己治癒力信仰っていうか、東洋医学のベースになる考え方ですよね。野口整体だとこれを活元運動って呼んだりするんですけど、またぞろ話が盛大にスリップしてしまうのでここでは一切を割愛します。もしくは割礼します。憧れはお前の胸の中を流れてゆくんだよ!! あっ、サイケデリックロックバンドのほうの割礼だったんだ、ふーん。


で、まぁマンションを出るとものすごい雨が降っていて、僕とARIKAちゃんが傘をさしてホテホテ歩きながら『なんかよくわかんないけどとりあえずウケたね』『うん、ウケた』とか言い合ってると、ローラーブレードを履いたものすごい派手な服装のカップルが手を繋ぎながら豪雨の中を走っていて、『なんかいいな』と思いました。


以上が僕の、アイソレーション・タンク体験記です。

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