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山塚りきまるの『なんかメロウなやつ聴きたい』第七十三回 これから「GGアリン」の話をしよう特集

(注意:このnoteには流血描写・スカトロジー描写が含まれています。苦手な方はどうぞブラウザバックして『星の王子さま』でも読んでてください)


GGアリン。

この猛毒神経ガスみたいな名前の男は、その名の通り、猛毒を周囲に撒き散らしまくりながら、大量の血と汗と精液とうんことおしっことドラッグと共に36年の生涯を駆け抜けました。

彼の職業はパンクロッカーで、『ロック史上最も見事な変質者』と評されています。

彼のライヴは本当に凄まじく、全裸になり、マイクで自分の頭を血が出るまで殴ると、割れたビール瓶やガラス片で自分の身体を切り刻み、排便し、それを全身に塗りたくって、観客に突っ込み、抱きついてキスしたかと思えば、いきなりぶん殴りまくるという、愛と暴力が渦巻くヘルピクチャー(地獄絵図)を展開していました。

もちろんそんな暴挙が法治国家で容認されるワケもなく、彼は公然わいせつ罪や暴行罪などで幾度となく逮捕・告訴され、ライヴも警察やライヴハウスのオーナーによって即効で中断され、傷口に糞便を塗りたくったための敗血症や骨折やその他の外傷による長期入院で彼のツアーは必ず中止されました。

彼の生前のラストライヴなぞは、10分間演奏したあと、30分間警察から逃げ惑うという驚愕の内容です。

まさに全ての迷惑行為を体現した男。

彼と比べればシド・ヴィシャスなぞ学級委員長です。いや、生徒会長です。

故郷にある彼の墓石にはファンからの献花、ではなく献便が耐えません。ショッキングな画像なのでここには貼りませんが、検索してみると世界中からやってきた彼のファンが、彼の墓石に小便をかけたり、上に乗ってウンコをしたりしている画像がドシドシ出てきます。こんな悼み方をされてるのは歴史上でも間違いなくGGアリンだけです。

では、そんなGGアリンとは一体どんな風貌だったのか?

こちらの写真をご覧ください。


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はい、どうですか?

紅潮した顔、野獣のような表情、赤く染められたヒゲ、謎の流血、素肌にGジャン、下腹部からはみ出したヴァイブレーター、どこを取っても狂人丸出し、あますところなくツッコミどころ満載ですね。このヒトがGGアリンです。ちなみにこのタトゥーはアリンが自分で適当に彫ったヤツです。でもいま逆にこういうイタズラ書きみたいなタトゥーが“イケてる”ってなってますから、世の中わかんないもんですねー。

GGアリンの本名はジーザス・クライスト・アリンといいます。キリストと同じ名前ですが、これ紛れもなく彼の本名です。熱心なクリスチャンで反社会的人物だった彼の父親がつけた名前なんですが、天使が訪れて『貴方の息子は将来救世主のような偉大な人物になるよ』というお告げをしていったことから命名された名前だそうです。うーん、生まれる前からすでにツッコミどころ満載です。地球上の全てのキラキラネームが束になってかかっても敵わない圧倒的ネーミングセンスです。

で、『GG』っていうのは彼のニックネームで、彼の兄貴が『ジーザス』という単語をうまく発音できなくて『ジェジェ』と呼んでいたところから来ています。

アリン一家はとても貧しく、水道も電気もない小屋で暮らしていました。アリンの父親は暗くなってから会話することを禁じており、情緒不安定でたびたび息子たちに暴行を加えました。まるでシリアルキラーの幼少時代のようなエピソードですが、実際に後年アリンは『バンドをやっていなかったら大量殺人者になっていた』と語っており、シリアルキラーに並々ならぬ興味を持っていたらしく、33人を殺害した“殺人ピエロ”として知られるジョン・ウェイン・ゲイシーと何度も面会しています。どうやら二人はウマが合ったようで、ゲイシーはアリンの肖像画を獄中で描いています。

まあまあ、何というか、紙一重だったんですね。アリンは本当にあらゆる意味で紙一重の存在でした。

そんな劣悪な環境ですくすく育ったアリンは、中学時代にはすでに筋金入りの不良と化しており、仲間とともにドラッグの売買や窃盗、不法侵入、女装して登校するなどやりたい放題の日々に明け暮れていました。アリンは当時を振り返り、『誰もが自分たちのことを嫌っていた』と語っていますが、『まぁ、そうなるな』以外のリアクションがありません。アリンはそんな反社会的活動のかたわら、バンド活動にも熱心に取り組み始めました。

高校時代になると——これほどの傑物が高校に進学したということに驚きですが——ステージに立ち、ライヴ活動をするようになります。当時の彼はドラマーでしたがすでに頭角を現しており、パーティー会場を滅茶苦茶に破壊したり、暴動を扇動(?)したりしていたそうです。彼がヴォーカルに転身したのは20歳のときです。彼はThe Jabbersというバンドでヴォーカルを担当しました。




このヴィデオで歌っている彼こそが、若かりし頃のGGアリンです。この時期はごく普通のパンクスという感じの風貌ですね。

ステージングはイギー・ポップやスティヴ・ベイターズの影響が見えますが、酒をガブ飲みしながらのたうち回る不穏な挙動にのちの展開を伺わせるものがあります。

『Don't Talk To Me(話しかけんな)』や『Bored To Death(死ぬほど退屈)』といった歌詞も、まあまあ70年代パンクの水準と言えなくもないんですが、厭世的で退廃したムードが立ち込めるアリンの独自の詞世界がすでに完成しつつあるようにも思えます。

サウンドはポップでキャッチーな70s PUNKといった風情で、とても聴きやすいです。この『意外にポップ』という彼のセンスは彼の唯一にして最大の切り札であり、もしこのポップ・センスがなければ、ミュージシャンというよりむしろ、パフォーマーとしてその人生を終えていたかもしれません。そしてそんな人生は彼にとってまさにファックだったでしょう。彼は後年、『俺はパフォーマンスって言葉が大嫌いだ。全部リアルだ。俺の生き様なんだ』と語っておられます。

The Jabbersはそれなりの人気を博し、マネージメントがついたりもしたようですが、アリンの奇行はどんどん激しさを増し、誰も手をつけられなくなっていきます。メンバー間の緊張は高まり、ついにThe Jabbersは活動休止してしまいます。また、この頃からアリンはドラッグを乱用するようになります。

アリンは80年代、さまざまなバンドでヴォーカルを務めました。しかし当時ハードコアが隆盛を誇っていたアメリカ東海岸のパンク・シーンで、彼のポップでキャッチーなパンクが人気を博すことはありませんでした。彼の70s PUNKのスタイルは完全に時代遅れだったのです。少々意外に思えますが、彼は生涯、“ハードコア”と呼ばれるジャンルに手を出しませんでした。これは彼がニューヨーク・ドールズとラモーンズのファンであったことに起因していると思います。









そしてなんと1980年に、GGアリンは結婚しています。結婚したんです。GGアリンは凄まじくモテたらしく、常に多くのグルーピーに囲まれており、それは晩年まで変わることはありませんでした。さらになななななんと、1986年には娘が生まれています。お父さんがGGアリンって一体どんな気分なんでしょうか。しかも娘が生まれたあとすぐにGGアリンは離婚しています。なぜ離婚したかについては資料がないため不明なのですが、理由が無限に思いつきすぎて逆に全く推測しようがありません。また80年代後半には、なんとあのダイナソーJr.J・マスシスがリードギターとしてアリンのバンドに参加していました。






人に歴史あり。ていうかダイナソーJr.久々に聴いたけど最高ですね、青春の香りしかしない(笑)。

J・マスシスは当時を振り返って『思い出したくもない不快な思い出だ』と吐き捨てるように証言しています。

さて1980年代後半のGGアリンは、酒とヘロインに溺れ、手に入ったドラッグは片っ端から何でもやっていました。いつも汚い格好をして、風呂にも入らなかったそうです。またこの頃から、アリンはステージでうんこをするようになります。ひとりうんこミュージアムです。

アリンは自身を『最後の本物のロックンローラー』と称し、TV出演(!)した際に『なぜあなたはステージで排泄行為をするのか?』と尋ねられたとき『俺の身体はロックンロールの神殿だ。信者には体液や血液を与えるべきだ』と答えています。

『俺は完全に自由なんだ』、『ロックンロールに制限なんてない』というのが口癖だった彼は、自分を世界最高のロックンローラーだと本気で思っていたのでしょう。初めて会った人間に自己紹介するとき、『やぁ、俺は世界最高のベース・プレイヤーだ』と言っていたジャコ・パストリアスのように。

排泄ライヴが話題を呼び、レコードもボツボツ売れるようになったアリンですが、とはいえ、音楽だけで食べていけるほどではありませんでした。しかしそこは我らがアリン、定職につく気はさらさらなかったようで、空き巣強盗で生計を立てていました。発想の治安の悪さが果てしねえ。だって『金ねえな……強盗すっか!!』ってならないじゃん普通!! 

売れないバンドマンの仕事といえばテレアポとコンビニの深夜バイトが定石ですが、やはりこの男は格が違います。

そして空き巣と強盗で食いつなぐ日々の中で、アリンは髪をスキンヘッドに剃り落とし、ヒゲを伸ばし、皆さんにおなじみのルックスとなります。そしてそれと共に己のステージングを確立させたのです。

全裸になり、マイクで自分の頭を血が出るまで殴ると、割れたビール瓶やガラス片で自分の身体を切り刻み、排便し、それを全身に塗りたくって、観客に突っ込み、抱きついてキスしたかと思えば、いきなりぶん殴りまくるという、ヘルピクチャー(地獄絵図)としか言いようがないライヴを敢行し始めるのです。

ではここで、その狂騒のライヴ映像をご覧ください。






『GG Allin Best Fights』ってタイトル最高だなー(笑)。酒とクスリでダルッダルになったハゲがビキニパンツ一丁で大乱闘するっていう、もうマンガみたいな映像ですよね。僕はロックの最大の魅力って『マンガっぽさ』だと思ってるんですよ。それはジャズでもソウルでもクラシックでも獲得し得ない、ロックだけが持つ特質性です。

『かっけーーーー!!!!』って叫びながら爆笑できるというのが、素晴らしいロック・ミュージックだと思います。『バカじゃん、こいつら』って思わせるロック・バンドが一番素晴らしいと思いますね。だってそれは『バカでも生きてていい』っていう優しさを提示して、いろんな価値観を教えてくれるものだから。

はい、話がスリップしましたが、こうした乱痴気騒ぎの日々の中、ついにアリンは一大宣言をします。1988年、アリンは『1989年のハロウィンにステージで自殺する』という“公開自殺ライヴ”の声明を出したのです。これには彼らのファンは大いに湧き立ちました。しかしながら1989年のハロウィン、それは果たされませんでした。なぜならその日、アリンは獄中にいたからです。それからも毎年『来年のハロウィンにステージで自殺する』という声明を出し続けましたが、ハロウィンになるとやはり、彼は獄中にいました。

自らそうしたのか、それともたまたまそうなってしまったのかは解りません。ただいずれにせよ、『こんなクソみたいな世の中だし、別にいつ死んだっていいさ』と彼が思っていたのは間違いないところだと思います。

彼の代表曲『バイト・イット・ユー・スカム』には“どうせ死ぬときゃみんな死ぬ”という一節があります。






ちなみにこのチョビヒゲに革ジャンを着たベーシストはアリンの実兄、マール・アリンです。このひとも全身タトゥー入ってて、スキンヘッドなのにもみあげだけ生やしてるという相当イカれた風貌なのですが、アリンに比べるとはるかに常識人です。インタビューで、

『弟のタトゥーは自分で彫ったり、適当に酔っ払いに彫らせたようなヤツだが、俺はちゃんと金を払って彫ってもらってる!』

と堂々と胸を張って言うぐらいには常識人です。あと弟の公開自殺宣言に関しても『あいつがそうしたいって言うなら仕方がない』と消極的に肯定しています。このお兄ちゃんは弟のことが大好きで心底尊敬していたみたいです。おそらくアリン同様、彼のことを世界最高のロックンローラーだと信じきっていたんだと思います。泣けまくる。

ギタリストはロン毛にスーツにロングブーツっていう神経を疑う格好してるし、この映像だとあんまちゃんと映ってませんがドラマーも基本全裸です。『服を着てライヴすると擦れて痛いから』という理由で全裸です。

全員がキチガイという奇跡のパンク・バンドです。バンド名は『マーダー・ジャンキーズ』。バッカじゃねーの(笑)。

90年代に突入すると、アリンは一躍アンダーグラウンド・シーンのスターになります。おそらくカート・コバーンが彼について言及したことなども大きかったでしょう(ボアダムズ、少年ナイフ、ダニエル・ジョンストンなど、彼がファンであると公言したものは必ず流行りました。彼はアングラなものをフックアップするスポークスマン的側面がありました)

30分のライヴで1000ドルが支払われるようになり、アリンは晴れてミュージシャン一本で食べていけるようになります。また、アリンの憧れのロックスターだったラモーンズのディー・ディー・ラモーンが、課外活動的に、ギタリストとして一週間だけバンドに在籍するという嬉しい出来事もありました。1992年には彼のドキュメンタリー映画も撮影されます。監督はなんとトッド・フィリップス。『ハングオーバー!』シリーズや、最近だと『ジョーカー』を手がけた彼が、大学の卒業制作のために作った映画でした。

この50分のドキュメンタリー映画は『全身ハードコア(めっちゃ良いタイトル・笑)』というタイトルで日本盤もリリースされており、かなり面白い映画なのでぜひ観てみてください。

ちなみに僕は『ハングオーバー!』シリーズめちゃくちゃ嫌いです。単純にギャグセンスが合わなすぎる。『ハングオーバー!』へのフランスからのアンサーである『世界の果てまでヒャッハー!』とか、セス・ローゲンの映画の方が10000倍面白い。『ウォー・ドッグス』と『ジョーカー』は面白かったですけどね。

で、まぁ一躍スターとなったアリンは、『もうステージ上で自殺をするつもりはなくなった』と言います。

『オレが生きていることがロックンロールにとって良いことであり、オレの敵や批評家連中にとって驚異であり続けられることに気づいたんだ。オレに死んで欲しいと思ってるのはオレの批判者たちだけだ』と、破滅傾向を抜け出し、生の欲動を全面に押し出していきます。

そして1993年6月28日。

アリンは生涯最期のライヴをニューヨークにて行います。そのライヴでは、アリンは数曲をやったのち、ライヴハウスを滅茶苦茶に破壊して、血と糞尿まみれになり、観客を殴り、抱きつき、警察から逃げ惑った末に外に脱出し、ストリートを全裸で闊歩しました。その後ろには美人揃いのグルーピーが列をなしていたというから、マジでバグり散らかしてますね。

そして全裸のまま、友人のアパートに到着したアリンはそこでパーティーを開きました。真夜中に全裸で血と糞尿まみれの友達が家に来たら相当イヤだと思うんですけど、その友人も相当狂ってたんでしょうね。間違ってもその状況からパーティーにならないもん普通。

パーティーでアリンはヘロインを打ちまくり、パーティーが終わってもヘロインを打ちまくり、翌朝になって、アリンが倒れているのが発見され、救急車を呼んだところ、アリンがすでに死んでいたことがわかりました。

彼の葬式で、血と糞尿にまみれて異臭を放っていた彼の遺体を清潔にすることを、兄のマールは拒みました。

『だって、こいつはGGアリンなんだぜ』。

棺の中には彼が愛飲していたウィスキーボトルが入れられ、彼のトレードマークである黒い革ジャンとビキニパンツが着せられました。

葬式は、彼のライヴ同様に乱痴気騒ぎとなりました。

友達は遺体と一緒にポーズを取って写真を撮るわ、遺体の口の中にドラッグやウィスキーを放り込むわ、彼の異様に小さいペニスを撮影するためにビキニパンツをずり下ろすわ、史上最も反社会的な葬式が行われました。おそらくそうするのが一番正しいことなのだと、その場にいた誰もが思ったのでしょう。

葬式が終わるとき、彼の兄はヘッドフォンをアリンに装着しました。ヘッドフォンからは、彼らが1989年に制作したカセット『スイサイダル・セッションズ』が流れていました。このアルバムの最後の曲は『I'm Dying, I'm Dying, I'm Dead』です。

まるで不謹慎なブラック・コメディ映画のような、この醜悪で美しい葬式の模様は映像にも残されています。

その追悼ライヴでも、アリンの遺体から取り出された脳が飾られるなど、死んでもなお、彼は退廃的で、露悪的で、不謹慎であり続けました。

誰も真似できない、誰も到達できない境地にいた彼はまさしく、世界最高のロックンローラーのひとりであると言えると思います。


というワケでいかがでしたでしょうか、山塚りきまるの『なんかメロウなやつ聴きたい』第七十三回 これから「GGアリン」の話をしよう特集、そろそろお別れのお時間となりました。

最後に、アリンの弾き語り映像をご紹介してお別れしたいと思います。これすごくいいです。沁みます。





それではまた。


愛してるぜベイべーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!



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