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TOO MUCH IMFORMATION MAGAZINE『T.M.I』に協力してくれた天才たち(続・エンドクレジット)

はいどうも。SF(ソウルフル・フィクションまたは単にソウルフル)作家の山塚リキマルでございます。

拙著、TOO MUCH IMFORMATION MAGAZINE『T.M.I』、発売から早一週間が経ちましたがお陰様でモリモリ売れております。

わたくし六尺の身体を七重にも八重にも折って、平身低頭誠心誠意、深く御礼を申し上げたく存じます。ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。大事なことなので三回言いました。

さて本作、『全テキスト単独執筆』などとうたっておりますが、トーゼンワタシひとりの力で作り上げたのではなく、多くの友人にご協力いただき完成したモノであります。

ワタシは田舎の百姓のセガレで、高卒で、去年の年収がリアルに100万を超えていない、つまりは無知で無学などーしよーもないボンクラなのですが、ただひとつ自慢できることがあるとすれば、才能に溢れた最高の友人に多く恵まれている。ということです。

友人たちの助力なくして本作は決して完成しえませんでした。

改めて友人たちの惜しみない支援に、そしてその才能に深く感謝を捧げるとともに、僭越ながら少々謝辞を書かせていただきます。

まず前述しました通り、ワタシは熊を年2ペースで見る北海道の山奥で百姓をやっておりました。ほいで2016年頃より突如として小説を書き始め、2018年と19年に某新人賞を受賞し、その勢いに乗って20年になんの展望もなく上京し、21年の初夏より本書の制作を始めたのですが、指示待ち世代のカリスマであるワタシが自発的にそんなプロジェクトを立ち上げるワケはありません。

the hatchというクソカッコいいバンドをやっており、中華一番でも活動を共にしている十年来の友人である山田みどり氏が『オレが監修してうまいことコンパイルしてやるからZINE作れよ』とワタシのケツを叩いてくれたのです。
右も左もわからない、お家を聞いてもわからない、名前を聞いてもわからない迷子の迷子の子猫ちゃん状態のワタシに、彼が懇切丁寧にレールを敷いてくれたのです。コンテンツ内容から発行部数に至るまで、数々の適切なアドヴァイス/ディレクションをいただきました。彼の数々の助言なくして本書が完成することはなかった、というかそもそも制作じたいが行われなかったでしょう。
スーパーバイザーを務めてくれた彼にビッグな謝辞を送ります。

すばらしい装丁デザイン/レイアウトを施してくれたのはデザイナーの金浜玲奈氏。『90年代のクイックジャパンみたいなテンション』というザックリ極まりないこちらのリクエストをカンペキに汲み取り、ワタシのぼんやりとしたイメージを120%、いやさ60000%のクオリティで見事具現化してくださいました。
痒いところに手が届くどころか、『本当はここも痒いのでしょう』とワタシが自覚していない無意識下の痒みさえケアしてくれる抜群のセンスには、ただただ頭を垂れるばかりであります。そのうえ大変な人格者で、ミリ単位の細かい修正も嫌な顔ひとつせず秒速で対応してくれました。もし許されるのであれば、今すぐ彼女を教祖に据えた新興宗教団体を立ち上げたい気持ちでいっぱいです。
ブックデザイナーを務めてくれた彼女にビッグな謝辞を送ります。

表紙をふくむ、本書に掲載されたかずかずの写真を撮影してくれたのは写真家のMAI KIMURA氏。
もうかれこれ十年来の友人でありますが、写真家として大変な才を持っており、彼女の写真はどれも強烈なオリジナリティに満ち溢れています。
『決定的瞬間』ということばがありますが、彼女の撮る写真は『なにも決定していない瞬間』だけを捉えているようにみえます。とても曖昧でさりげない、アンニュイでエキゾチックな美を切り取る力。誰を撮ろうが、何を撮ろうが、彼女が撮る写真はすべて彼女そのものでしかありません。確固たるパターナルと強烈なオリジナリティという天才特有の資質です。
撮影を務めてくれた彼女にビッグな謝辞を送ります。


ワタシが原作をつとめた漫画『毎日2メートル髪が伸びる女の子の話』の作画を担当してくれたのはデザイナー/イラストレーター/漫画家のidarin氏です。
彼女との出会いはまったく偶然のもので、ワタシが深夜、泥酔した勢いで『誰か俺と組んで漫画で一山当ててみないか?』とトゥイートしたところ、彼女が立候補してきたのでした。サヴカルチャー全般に精通しており、独特の嗅覚をもっている彼女はとかく『話がわかるひと』です。
ワタシのポンチ絵以下の薄汚いネームを、ちゃんと自らの美意識を携えた作品にアップグレードしてくれる、すばらしい才能の持ち主であります。『世界で一番カッコいい男はキムタクと窪塚』と言って憚らない時点で完全に信頼できます。なんともイカした頼れるギャルです。
漫画作画を務めてくれた彼女にビッグな謝辞を送ります。

小説『わたしの正しくない東京』、『映画を観る』で挿絵を描いてくれたのは画家/彫り師のARIKA氏です。
彼はもうアホみたいに仲良しです。
それこそ上京したばっかの頃は週3とかで会ってました。
彼の描く絵(ここでの“絵”とはタトゥーも含みます)は、ひとことでいって、すばらしいです。『踊れる』絵です。絵画や彫刻といった視覚芸術で踊るというのは相当むづかしいワケですが、彼の描く絵はダンス欲求を誘発します。彼の絵を見るたびワタシは、心がむずむずするような、髪の生え際がゾクゾクくるような、そんな感覚に襲われるのです。
彼の絵はほんとうの意味で『サイケデリック』だと思います。
サイケデリックというと極彩色がブンニョリドッカーン。みたいなのをイメージされる方も多いかもしれませんが、アレは60年代にピーター・マックスが提示した最大公約数というか戯画的なモノで、サイケデリックとは本来『自分の内側を見つめる』という意味です。坂本慎太郎氏のことばで『自分にとってのサイケは、何もない砂漠にポツンと鉄塔が立っているみたいなイメージ』というのがありますが、まさにそのことばがピッタリくるよーな、孤独だけど多くのものと深くつながっているような感覚を、彼の絵は呼びさましてくれます。
小説の挿絵を務めてくれた彼にビッグな謝辞を送ります。

ポエム『俺のチャーハン』の代書/挿絵を手がけてくれたのはウクレレラッパー乳焼(a.k.a FCファラオ)。
彼はワタシが所属するヒップホップクルー・中華一番のリーダーなのですが、まあひとことで言って大変な天才です。
ワタシには『天才』としか言いようがない友人が多くいますが、『こんな人間、人類史でほかに存在しないだろうな』と心の底から思うのは中華一番のゴエモン氏、そしてこの乳焼氏だけです。
天才というのはとかく狂気を孕んでいるものですが、彼は完全な正気であり、そしてそれゆえに表現活動で己を世間に誇示しようという承認欲求をもちません。もし彼に少しでもそうした欲求があったならば、SNSでバズり倒している◯◯や××といったクリエーター諸氏にデカい顔はさせなかったでしょう。
誰よりも巨大な才能を持ちながら、それで生活を立てるとか世間に評価されるということに何の興味も示さなかった天才。この天才の作品を見たいという、ただその一心で今回ワタシは彼にオファーを出しました。
ちなみに本書に掲載されている作品はモノクロですが実物はフルカラーで、もう色彩感覚とか含めてめちゃくちゃヤバいです。
ポエム代書/挿絵を務めてくれた彼にビッグな謝辞を送ります。

『What Is Dig?(ヒト科のみがもつ、“感動のために”という欲求について)』のフォト・セッションで自室を貸してくれたのがディガーのマチダ氏。
彼はマジで『ディガー』としか言いようがなく、博覧強記、いや博覧狂気というにふさわしい異常な蔵書量/知識量をほこっています。
ワタシも映画とかマンガとかそこそこ興味ある方ですけど、このひとにはもう全く敵わないですね。足元にも及ばないです。映画も音楽もマンガも文学もその他あらゆるジャンルも死ぬほど詳しいのですよ。この記事の写真では彼の膨大なコレクションを垣間見ることができますが、もうこんなん1パーセントにも満たないです。本当にすごい。彼の家とディズニーシー、どっち行きたいかって言われたらもう断然マチダさんの家ですね。
もうとにかく出てくるモン全部知らないし全部面白いし全部ヤバい。
『DIG』に対するワタシの所感について書いたページで、彼の自室の写真を使えたというのは個人的にクリティカルなポイントであります。
一オタクとして偉大なパイセンであり、これからも色々学ばせていただきたい所存。
撮影協力を務めてくれた彼にビッグな謝辞を送ります。


表紙/裏表紙などのフォト・セッションで撮影協力にあたってくれたのがウタちゃん氏。
あのすばらしい表紙/裏表紙の撮影はウタちゃん氏のご自宅で執り行われました。ウタちゃん氏はもうなんていうか、シンプルに器がデカいですね。器がデカいっていうか器が壊れてます。なので、もう何でもじゃんじゃん受け止めてくれるという、ちょっとおかしいんじゃないかってレヴェルの大変な善人です。
去年、ワタシが超高熱出してリアルに死にかけたとき、わざわざ家まで来て救援物資を届けてくれたのも他ならぬ彼女でありまして、ワタシはもう何度彼女に世話になったかわかりません。
しかも毎朝ランニングしてる上に死ぬほど働き者っていう、精神構造でいえばワタシの対義語に属する超勤勉なお方です。
彼女なくしてあのキャッチー極まる表紙/裏表紙は完成しなかったでしょう。

そしてその撮影において、ウタちゃん氏と同じく、さまざまな面でサポートをしてくれたのが金子声児氏。
彼は百獣と挫・人間というバンドのベーシストでありまして、何を隠そう、かつてワタシともバンドをやっていた旧知の間柄であり、今も仲介一番で活動を共にするマイメン中のマイメンであります。しかもかれこれ2年近く同居している上に、いっときはバイト先すら同じだったので、もう比喩とかではなくマジマジのマジで『親の顔より見た顔』です。
もう彼に関しては書くことがありすぎるので、かいつまんでお話いたしますが彼は小5と中2のハイブリッド。好きなものは遊戯王と仮面ライダーとテニスの王子様という終身名誉キッズです。会って間もない頃に『将来の夢とかある?』って聞いたら、『おにぎりいっぱい食べてラスベガスに行く』って言ってました。一年のうち350日を二日酔いで過ごすというとんだパーティー野郎でありまして、本書の制作に限らず、彼の明るさには日々、救われております。
彼とワタシはかつてAABACOというファンク・バンドをやっていたのですが、その解散が決まったとき、楽屋でただひとり泣いていたのが彼でした。
そして解散ライヴの後の打ち上げで、ワタシがポツリと『一生こんなことできたらいいなー』とつぶやいたとき、『やりましょうよ。一生』と言ったのが彼でした。
あれからもう10年弱が経ちますが、恐るべきことに我々の打ち上げはまだ、終わっていません。
撮影に協力してくれたこのお二方にビッグな謝辞を送ります。


特集記事において好き勝手に書かせてくれたのが中華一番のメンバー諸君。
ワタシもこのクルーの一員なワケですが、かれこれ十年にわたって常日頃から驚愕のエピソードを提供してくれる彼らに、あらためて深い深い愛とリスペクトを捧げます。
ワタシはこのクルーにダンサーとして参加しておりますが、彼らの動向をつぶさに観察し、記録し、後世に残す。ということこそがワタシの真の使命であると勝手に思っています。
本書の特集記事については『内容がヤバすぎる』というお声も多数頂戴しておりますが、こんなもん全体の1パーセントにも満たないです。まだまだ序の口です。上澄みも上澄み、世間にギリギリお出しできるエピソードしか書いていません。
特集記事を組ませてくれた中華一番の諸君にビッグな謝辞を送ります。

本書の制作にあたり数々の助言のみならず、制作費の出資、さらにはプロモーション活動に至るまで現在進行形でサポートしてくれているのがオカモトレイジ氏。
もうなんつーか、シンプルに頭上がんないですね。
お世話になっておりますアンドこれからもお世話してください。
かのカール・マルクスによれば資本主義が台頭する以前の人々は、狩猟も採集も芸術も学問も、とにかくあらゆるすべての営為が繋がっていて、『ひとつのもの』であったそうですが、彼の立ち居振る舞いを見ているとまさしくそんな感じがします。原始的生活を送っているとかではなくてむしろその逆、資本主義と共産主義のいいトコ取り、労働と余暇を完全に液状化させた未来の人類、そんなふうにワタシの目にはうつります。
彼は己を『ネオ・ヒッピー』と謂いますが、じつに言い得て妙であると思います。東京生まれ東京育ち、チャキチャキのシティ・ボーイである彼は、世間知らずなワタシに常日頃からさまざまな景色を見せてくれます。
知識を知る知性は三流、経験を知る知性は二流、己を知る知性こそが一流であると毛沢東はいいましたが、己がなんであるかを良く知り、遊ぶように生きるという一流の知性をもつ彼に、ノン・ストップ・リスペクトであります。
YAGI EXHIBITIONの末永い繁栄を祈りつつ、彼にビッグな謝辞を送ります。



本書の制作に携わってくれた方々は、以上の通りです。こうした天才たちと作品を制作できたことを、ワタシはマジマジのマジで誇りに思っています。

本書を上記のすべての友人たちへ捧げます。

そして、捧げても読まれるはずもないのですが、病気で亡くなった友人のケイちゃんとユイちゃん、二年半に渡る闘病の末に『オレは今日はまだ死なないから、寝ろ』とつきっきりで看護していた母に告げ、母が眠っているうちに死んだ父・隆一に、心からの心を込めて、本書を捧げます。

父よ、そっちはどうだい。アナタが最後の最後についた、愛にまみれた大ウソこそ、オレがソウルフル・フィクションと呼んでいるものなんだぜ。




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