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ボタニカル哲学(菜根譚)

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菜根譚は、今から約400年前の中国において、内乱や政争が相次ぎ混迷を極めた明代末期、万歴帝の時代(1572-1620)「厳しい時代の中でどう生きるのか」をテーマに、中国明時代の哲…
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ボタニカル哲学(後集16)頭を冷やし、心はゆったり

冷静になってから、熱狂していたことを振り返って考えると、そこではじめて熱に浮かれて奔走し…

力蔵
2年前
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ボタニカル哲学(197)晩年の心がけ

陽が沈んでも、夕映えは美しく輝いている。 年の瀬が来ても、橙(だいだい)や橘(たちばな)…

力蔵
2年前
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ボタニカル哲学(196)君子は和して同せず

人間がこの世の中で生きていく時には、俗人とあまり迎合してはいけないが、異端であってもいけ…

力蔵
2年前
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ボタニカル哲学(195)成功する人と失敗する人

大きな功績や事業を成し遂げる者は、多くの場合“あっさり”していて円満な人間である。 事業…

力蔵
2年前
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ボタニカル哲学(194)孤高、狭量を離れる

山が高く険しいところに木は生えないが、川がそこを廻っていれば、草木は群がるように芽吹く。…

力蔵
2年前
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ボタニカル哲学(178)永遠に輝くきっかけ

少しの慈悲心が、天と地の間にある人間の温和な気風を醸し出し、少しの潔白心(清心)が、百代…

力蔵
2年前
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ボタニカル哲学(177)人を導く方法

嘘つきの人間に会ったら、真心を尽くして揺り動かし(感動)、乱暴で道を外した人にあったら、温和な心で薫蒸(善に感化)し、邪悪な捻くれ者に会ったら、大義名分と意欲で励まし、良い方向に向けさせる。 こんように導くのなら、世の中に自分の指導力が通用しない人間はいない。 つまり、どんな人間でも適切な対応をすれば、改心させることが出来るということ。 言い換えれば、活人は、人を観て法を説き、相手の個性上の癖に応じた固有に説得法を身に付けなさいということで、それが出来ないようでは指導力がある

ボタニカル哲学(176)節義、道徳を標榜しない

節義(建前の?)あることを自慢する者は、必ず、その節義を理由に非難され、道学に関する教養…

力蔵
2年前
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ボタニカル哲学(175)権力の座にある者の心得

上に立つ者は、権力を行使する重要な地位にあるときは、言行は公明正大で、心は穏やかで親やす…

力蔵
2年前
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ボタニカル哲学(174)客観的観察と主体的行動

物事を考える時は、我が身を客観的な立場において利害に対する判断を十分に考慮しなさい。 し…

力蔵
2年前
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ボタニカル哲学(173)心を落ちけ、目を澄まし

何の事件も起こらない時は、心がボンヤリし易い。 だから、静かで澄み切った目で見なさい。 こ…

力蔵
2年前
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ボタニカル哲学(172)人間の心は宇宙そのもの

人間の心は、それがそのまま宇宙そのものである。 喜びの心は、めでたい星やめでたい雲である…

力蔵
2年前
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ボタニカル哲学(171)思いやりの心

「ネズミの為にいつも飯を残しておき、蛾を可愛そうに思いランプをつけない」(蘇東坡「蘇軾詩…

力蔵
2年前
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ボタニカル哲学(170)毀誉褒貶の真相

私は高い地位にあって人が尊敬するのは、外見の立派さからだ。 私が低い地位であって人が軽蔑するのは、外見の貧相からだ。 そうとすれば、人は見かけを尊敬しているだけなので、どうして喜べるだろう。また、人は見かけで軽蔑しているだけなので、どうして怒れるだろうか。 つまり、自分が他人から思われている感情は、所詮は外見や立場が与える幻想で、自分の本性に対してではないので、喜んだり悲しんだり、誇ったり蔑んだりするのはナンセンスということ。 言い換えれば、活人は、立派な服装で高給な車に