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ボタニカル哲学(菜根譚)

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菜根譚は、今から約400年前の中国において、内乱や政争が相次ぎ混迷を極めた明代末期、万歴帝の時代(1572-1620)「厳しい時代の中でどう生きるのか」をテーマに、中国明時代の哲…
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#自己理解

ボタニカル哲学(後集106)俗世に在れば自由を失う

俗世間を離れ深山に住むと、心は清清しくなり、見聞きし触れるものは皆、素晴らしい趣を感じさ…

力蔵
1年前
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ボタニカル哲学(後集105)静も動もともに忘れる

静けさを好み、騒々しさを嫌う者は、往々にして人を避けることで、静けさを得ようとする。例え…

力蔵
1年前
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ボタニカル哲学(後集104)世俗から脱却する

自分の心を自分のものに出来なければ(主体性が確立出来ていなければ)、(欲しい物で満ち溢れ…

力蔵
1年前
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ボタニカル哲学(後集103)達人の境界、俗士の末路

音楽や歌声が正に絶頂にある時、席を立ち振り返りもしないで帰ってしまうのは、達人が手放しで…

力蔵
1年前
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ボタニカル哲学(後集102)平地に波乱を起こす

心には本来、煩悩(妄想分別の)は無いのだから、ことさらに心を観ずる必然性があるか。仏教者…

力蔵
1年前
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ボタニカル哲学(後集101)最高の幸せ

田舎の素朴な農夫は、親しんできたかしわの肉や濁り酒の話で嬉々とした喜ぶが、貴人の食卓につ…

力蔵
1年前
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ボタニカル哲学(後集100)静かな心、ゆったりした心

そよぐ風や咲き誇る花がさっぱりとして、積もる雪や明るく照らす月が清清しい姿は、心静かな者だけが主人公となって味わえる。水の流れや草木の生涯や竹や石の佇(たたず)まいに見られる四季の移り変わりは、一人で、のどかでゆとりのある生活をしている者のみが、それを味わう権利を得ている。 つまり、同じ現象、同じ事実に接しても、心が穏やかでさっぱりした気分で暮して居なければ、事物事象の本来の素晴らしさと接する事は出来ないということ。 言い換えれば、達人は如何なる状態にあっても、本物の風情

ボタニカル哲学(後集99)一場の夢

俳優に白粉を塗り、紅を注して化粧をさせて、美醜を筆先作り出しているが歌が終わり舞台が跳ね…

力蔵
1年前
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ボタニカル哲学(後集98)先見の明、卓越した見識

病気になってはじめて健康の重要性に気付き、戦争になってはじめて平和の有難さに気付くような…

力蔵
1年前
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ボタニカル哲学(後集97)父母未生以前の面目

試しに、自分が生れる前はどんな姿だったか考え、死んでしまった後はどんな姿なのかを考えれば…

力蔵
1年前
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ボタニカル哲学(後集96)争わざるを勝ちと為す

達観した人の風流とは、心に悩みの無い悠々自適な生活が営まれていることである。だから、酒を…

力蔵
1年前
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ボタニカル哲学(後集95)本体と現象

真理が静寂であれば、当然、現象もまた静寂である。それなのに、現象を捨て去り、真理に取り付…

力蔵
1年前
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ボタニカル哲学(後集94)主体性の確立

自分が主体となって物事に働きかける者は、上手くいっても取り立てて喜ばないし、失敗しても取…

力蔵
1年前
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ボタニカル哲学(後集93)節を守る

文章は自然体になることで上達し、道徳は自然体であることで成就する。 この「拙」という一事は、無限の趣がある。「桃の花の咲く里に犬が吠え、桑畑の中では鶏が鳴く」というような文は、何とも素直で味わいがある。 「寒々しい川の淵に映る月影、枯れ枝に止まるカラス」という文に至っては、技巧をこらしているが、何故か寒々しい感じがする。 つまり、自然も人の心も、人為を加えないほうが自然で清清しいが、小細工をすると、寒々しくなるということ。 言い換えれば、達人は、表面を取り繕う事より、自然