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ボタニカル哲学(菜根譚)

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菜根譚は、今から約400年前の中国において、内乱や政争が相次ぎ混迷を極めた明代末期、万歴帝の時代(1572-1620)「厳しい時代の中でどう生きるのか」をテーマに、中国明時代の哲…
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2022年10月の記事一覧

ボタニカル哲学(後集127)人の一生は操り芝居

この世に今生きている人間は、元来、一体のあやつり人形のようなものだ。 だからこそ、その根…

力蔵
1年前
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ボタニカル哲学(後集126)天の誘惑、世間の陥穽

分不相応な幸福や理由も無く手に入った物は、造物者が人を釣上げる餌でなければ、人の世に仕掛…

力蔵
1年前
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ボタニカル哲学(後集125)隠士田父の清心

山林で隠遁生活をしている者は、清貧であっても俗世間を超えた豊かさがあり、田畑で働く農夫は…

力蔵
1年前
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ボタニカル哲学(後集124)風流に流されない

花を植え竹を育て、鶴を飼い慣らし魚を鑑賞するにも、何かの気付きが無ければならない。もし、…

力蔵
1年前
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ボタニカル哲学(後集123)人間性を汚すもの

山菜は人の世話を受けないで育ち、野性の生き物も人の世話を受けずに育ち、其々の味は風味があ…

力蔵
1年前
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ボタニカル哲学(後集122)花の見ごろ、酒の酔い加減

花は五分咲きを観て、酒はほろ酔い程度に飲む。このような状態がこの上なく素晴らしいのだ。も…

力蔵
1年前
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ボタニカル哲学(後集121)塵世苦海は心の持ち方から

世間の人々は名誉や利益を求める事に心が縛られ、ともすれば、この世は汚れて苦労の多いところ(苦海)だと言う。しかし、雲は白くして山は青く、川は流れて岩そそり立ち、花は咲きて鳥は歌い、谷はこだまし木こりは歌う。この世自体は汚れもないし、苦の海でもなく、世間の人々が勝手に自分の心を汚し苦しんでいるだけだ。 つまり、現前する事実には美醜も苦楽も決め付られた価値は何も無く、それを受け取る側の人間の心が勝手な価値を与えているだけなのだ。 言換えれば、達人は俗人の様に勝手に一喜一憂する

ボタニカル哲学(後集120)自他の区別を忘れる

耳の機能は、つむじ風が谷を廻る音に似て、音が止んでしまえば、良し悪しは無くなる。心と対象…

力蔵
1年前
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ボタニカル哲学(後集119)吉の中に凶を兆す

子供が生れる時、母は危険な状態となり、金が溜まれば泥棒に狙われ、どんな喜びも心配ばかりで…

力蔵
1年前
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ボタニカル哲学(後集118)端坐寂静にして自然と一体となる

人の心は、活動中にその本質を見失う。もし、僅かな雑念も無く、清清しい心の状態で静坐すれば…

力蔵
1年前
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ボタニカル哲学(後集117)小人閑居して不善をなす

人生が閑すぎると下衆な考えが浮かび、急がし過ぎると本性が現れない。だから、上に立とうとす…

力蔵
1年前
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