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ボタニカル哲学(菜根譚)

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菜根譚は、今から約400年前の中国において、内乱や政争が相次ぎ混迷を極めた明代末期、万歴帝の時代(1572-1620)「厳しい時代の中でどう生きるのか」をテーマに、中国明時代の哲…
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2022年5月の記事一覧

ボタニカル哲学(221)君子の心配事

上に立つ人材は、苦しい状況では思い悩まず、饗宴では警戒心を持ち、権力者の前では毅然とし、…

力蔵
2年前
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ボタニカル哲学(220)可能性を育ててあげる

若者はオトナの卵であり、秀才は成功者の卵である。 このような卵の状態において、陶器を焼き…

力蔵
2年前
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ボタニカル哲学(219)人を責める時、己を責める時

他人の責任を追及する時は、悪い所だけではなく、良い所を観れば、感情的にならないで済む。 …

力蔵
2年前
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ボタニカル哲学(218)口と心の制御

口というのは心の「出入り口」である。この口から出る言葉を無駄なことばかり言って慎重にしな…

力蔵
2年前
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ボタニカル哲学(217)中途半端な才人の不幸

悟りに達した人は、胸中にあれこれ思いわずらうことは何もない。また、愚かな者は最初から知識…

力蔵
2年前
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ボタニカル哲学(216)天意に逆らう人

天は大衆から一人を選んで「賢者」として愚者を導かせようとしたが、現実の世で賢者は天の意思…

力蔵
2年前
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ボタニカル哲学(215)読書と観察の要諦

真剣に本から学ぼうとする者は、とことん読み込んで、真実を発見して全身が躍動してしまう位まで読み深めれば、文字面に囚われなくなる。 真剣に物事を観察しようとする者は、自他一如となるまで観察し尽くせば、表面的な現象に引きずられなくなる。 つまり、何事も事を始めるからにはとことんやれば、本質が見えてきますということ。正に法門の数は無限だが、中心は一つということ。 言い換えれば、中途半端な気持ちでは時間の無駄ですよということで、これこそ「活人」のための教訓そのものなのだ。 ↓↓

ボタニカル哲学(214)喜怒哀楽に流されず

喜びのあまり、軽はずみな許しを出してはいけない。 酔った事により、怒りを爆発させてはいけ…

力蔵
2年前
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ボタニカル哲学(213)上も見て、下も見て

物事が思うようにならない時、自分には及ばないような人のことを思い出せば、自分の逆境をうら…

力蔵
2年前
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ボタニカル哲学(212)大人(たいじん)を畏敬する理由と小民を畏敬する理由

高い人格の人に畏敬の念を持つべきである。 畏敬の念を持てば、生きていく上で、散漫になるこ…

力蔵
2年前
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ボタニカル哲学(211)士大夫の生き方

身分の高い者は、公職や官職を引き受けている間は、手紙やメールを書くにも節度を意識しなけれ…

力蔵
2年前
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ボタニカル哲学(210)協調の心と謙遜の徳

節操のある人は、協調性を身に付ければ、トラブルの少ない生き方が開ける。名誉を重んじる人は…

力蔵
2年前
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ボタニカル哲学(209)人生の歩み方

嵐が吹き荒れる所では、足をしっかり立てて踏ん張る必要がある。花の色が鮮やかで、柳が艶(あ…

力蔵
2年前
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ボタニカル哲学(208)人を使う術と友と交わる道

人を使うには、厳しすぎてはならない。厳しすぎると、骨を折り尽くそうとする者まで去ってしますことになる。 また、友人と交際するには、無節操になってはならない。無節操だと、媚び諂う者まで集まってしまう。 つまり、能力のある人間を使う場合は、厳し過ぎるとすると、辞めてしまい、友達との交際は節度がないと、“よいしょ”人間が近寄ってきて、結果自分を過信するようになり、最終的には、仕事面に影響を与え部下の能力を冷静に判断できず、厳しい扱いをして、才能のある人間は去ってしまいますよ、とい