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鴎外と北里柴三郎

 「脚気に関し、緒方が脚気感染症説を発表、これを否定するドイツの北里は、森林太郎の緒方擁護論に真っ向から反論。この事件が、世界的な学者に成長した北里を、日本医学界、就中東大が受け入れる場所を造らなかった後事に発展する。」上山明博著『北里柴三郎』についての村上陽一郎評より(2021-11-6の毎日新聞)

 この書評からも知られるように、当時、日本の軍隊で大きな問題となっていた脚気(かっけ)に関し、鴎外は感染症説をとっていた。

 鴎外は潔癖で、感染症を恐れ、子供たちに必ず手を洗うよう、厳しくしつけていたというのもどこかで読んだことある。
 が、医学者としての鴎外の全体的な評価はどうなんだろう。

 美術史や美学に関する鴎外の業績や影響はある程度研究され、一般にも知られているが、これもまだまだ評価、研究し直す余地があるのかもしれない。
 プラスの面のみでなく、負の面での評価も大切だ。これまでは、彼の負の面に触れるものがあっても、たいていプラス面の評価に覆い隠されてしまっている。

 人文科学では、その人の業績をある一つのことに限定して、例えば先の脚気の例のように、その結果をはかりがたい。なので、負の部分があるとしても、影と光とが同時に語られることが多いからだ。影の部分、負の面だけを摘出するのはどうしても遠慮がちになる。

 負の面だけ照射すると、かえってそんなことを考えたり、書いたりしている自分が卑小、または尊大に思えて筆が止まるのかもしれない。

 だが、光の面のみが強調され過ぎると、かえってその人の奥行きが乏しくなる恐れもある。

 鴎外のような巨人の場合、書き手が恐れずに彼の影の部分を引き出しても、敬意を払わなかったことにはならないだろう。




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