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ロダンの「考える人」

 ロダンの「考える人」は、彼が影響を受けたミケランジェロの作品にもあるようないわゆる思考のポーズをとっていることは明らかだ。(やや不自然に左膝に右肘をつくポーズは、やはり「地獄篇」に関連するカルポー作「ウゴリーノ」の先例がある。)
 「考える人」は、「詩人」とも題され、ロダンの「地獄の門」の当初の構想では、ダンテその人を表現しようとしたものである。
 ロダンは、ダンテの『神曲』「地獄篇」から「地獄の門」の重要な構想を得、その門の上方中央に思考するポーズの人物を置き、この門をくぐる死者たちや、その門をくぐることさえ許されない亡者の群れを眺めやっていると解される。

 ダンテが記す「地獄の門」には、「我を経て悲しみの都に至る。…ここを過ぎんとする者、すべての望みを棄てよ」と刻まれている。
 そして、ロダンの「考える人」は、まさに建築用語でティンパヌムと言われるところに位置することになる。審判者の位置との解説もある。

 彼は座って門を潜ろうとする下方に蠢いているはずの死者たちを覗き込むように眺めている。しかし、人が眺めているというのは、ただ単に眺めやるというのでなく、自ずとそこに何らかの思考が芽生えるものであろう。

 だから、ロダンのこの作品を人が見たり知ったりすると、そのタイトルに関わらず、彼は何を考えているのだろうと鑑賞者たちは思いを巡らす。それは、きわめて自然なことだ。

 実際、ロダンがもし、「地獄の門」上方での思考のポーズに象徴させたいものがあったとするなら、それは何だったのだろう。彼はどのような言葉に思いを巡らせながら、この作品を制作していたのだろうか。

 造形作品としてのロダンの「地獄の門」は、明らかにダンテの「地獄篇」の「地獄の門」に由来するものであるが、「我を経て…」の銘文はそこには刻まれていない。
 してみると、門が一人称で語るその代わりのように、彼は座しているとも見える。

 「考える人」は、座して死者たちの群れを眺め、この作品のさらに上方には、「3つの影」の群像がさらに大きく据えられている。そして、この「3つの影」こそ取り除かれた先の絶望的な銘文を具現化しているかもしれないという説もある。

 「3つの影」は、ダンテの「地獄篇」の第16歌に基づくものと思われ、元々は3人の亡者が急速な円環を描くように、ダンテたちに近づいてきた場面に関連しているようだ。彼らは手を繋いで伝統的にダンスをしているように表現されることがある。彼ら3人のフィレンツェ人の死者が円を描くように急速にダンテとウェルギリウスに現れた構図が、「3つの影」の源泉ということである。

 現在の独立し拡大された「3つの影」は、左手を集中させ下方に向けて、あたかも「考える人」または、門自体の方を示唆しているように見えるが、実際、この3人群像は、今日の形態よりも互いにもっと離れて、むしろ互いの手を繋ぐかのように展示されたこともあったようである。
 また、この作品は、3つの左手を軸の中心としての車輪をイメージしているという想定もあり得る。

 すなわち「3つの影」は、西洋の伝統的な「死の舞踏」のイメージに重なるものがあると言ってもよいかもしれない。
 そのような西洋の伝統的な文脈で「地獄の門」の中の「考える人」を見ていくと、そこに自ずと浮かび上がる言葉がある。「メメント・モリ(死を想起せよ=死を忘れるな)」である。
 「考える人」が思いを巡らせているのは人の死、または同じことと言ってもよいと思うが、その対極の生そのものではなかろうか。



 


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