レーシック手術を受けた話①

社会人になったらやりたいことリストの中にレーシック手術を受けるという項目があった。昨年の6月に受けたのだが、今も視力は両目1.5をキープしており、毎日快適な事この上ない。
お値段なんと両目あわせて18万円。この値段を高いとみるか安いとみるかは人それぞれだが、私には安すぎるように思えた。だってコンタクトレンズって物にもよるが、三か月で1~2万ぐらいする。一年で4~8万と考えれば少なめに見積もって5年もあれば回収可能な値段である。こんなものやらない理由が無いではないか。
まあ「ワイ、一生眼鏡なんだけど質問ある?」というコンタクト排斥派の人相手には何も反論できないサンドバッグと化してしまうのだが。
とはいえやはり多くの人が手術に踏み切れない理由に「万が一失敗したら怖い」というのがあるだろう。しかし、レーシックはかなり前から術式が確立してるものだし、術前には綿密な検査をするから実績のある眼科でやれば心配いらない。というのが私の持論だ。
また、もし万が一失敗して失明でもしようもんなら私は会社を辞めて芸人になり、濱田祐太郎さんに弟子入りしようと本気で考えていた。無事手術は成功し、小4の頃に抱いた吉本芸人になるという夢は潰えてしまった訳だが、このように最悪の事態を想定しておくことは大切だ。なお、この考えは一度も共感を得たことが無いクソ持論である。

とはいえやはり実績があって評判の良い眼科で受ける必要がある。私は早速Google先生にオススメのレーシック眼科を伺った。
部屋でスマホをポチポチするだけで眼科を調べられるなんて便利な世の中だよな〜ネット最高だな〜と、アホ面でベッドに転がりながら数個の眼科をリストアップした。
しかしどうもネットの評判だけでは不安だ。口コミだって本当かどうか分からないし、結局は実際の経験者の声でなきゃ安心することはできない。しかし私の周囲にはリアルのレーシック経験者が存在していなかった。
「やっぱネットって信用ならねえよな〜クソだな〜」
と、ネットに対する手のひら返しを決め込んだ私はどの眼科で受けるか決めきれずにいた。そんな状況で悶々とした日々を過ごしていたところ、なんと母親の友人がY眼科というところで20年前にレーシックを受け、現在も視力良好だという情報をキャッチした。そしてY眼科は私のリストの中に存在していた。
何という幸運。こんなにも早くリアルなレーシック患者が見つかるとは、持つべきものはレーシック経験者を友に持つ母親である。
その人に実際に話を聞き、手術は全く痛くないことや、術後翌日には視力が見えること、そして20年経っても視力の衰えは無く異常も無い事を確認した。やはり「20年経っても」という部分が心強い。信頼と実績の20年である。100人乗っても大丈夫ならぬ20年経っても大丈夫である。
私はY眼科でレーシックを受けることにした。
しかし、ひとつだけ引っかかるものがあった。それはとある口コミサイトに書かれていた
「院長さんがめちゃくちゃ早口なおっさんで、説明が聞き取れない」
というものだ。そんなことある?と思ったが、少なくともプラスの意見ではない。しかしまあ、ちゃんと手術してくれるなら説明はそこまで重要じゃないだろう、大事なのは結果だ。
ということで、Y眼科の診察予約を取り、術前検査というものを受けることになった。レーシックができるかどうかを検査するらしい。

そして術前検査当日。内容は視力検査はもちろんの事、おなじみのあの気球を眺める検査や、青色に光りまくるライトを見るといった謎の検査が目白押しだった。検査は全て看護師によって行われ、それらが終わり次第最終検査である院長先生の問診を受けた。
あの京都大学医学部で博士号を取った院長らしいので、どんな天才がくるのだろうと身構えた。
「めちゃくちゃ早口のおっさん…」
忘れかけていたネットの書き込みが頭を掠め、嫌な汗が背中を伝った。いや、それほど問題では無いはずだ。大丈夫だと言い聞かせ、診察室へ向かった。

迎えてくれたのは至って普通の見た目のおっちゃんだった。なんだ、変な人じゃなさそうだ。これなら安心だなと思った刹那、おっちゃんはものすごい関西弁で捲し立て始めた。
しかも声がこもってるというおまけ付き。なんというか、文字では表現できない独特の喋りなのだ。しかも喋るのがめちゃくちゃ速い。さすがは京大医学部。恐らく頭の処理能力に口が追い付いていない。

「恐ろしく速い関西弁。俺でなきゃ聞き逃しちゃうね。」

どこかで聞いたようなフレーズが頭の中をリフレインしていた。関西弁ネイティブの私でさえ注意深く聞いてないと内容がつかめない。あんなの東京人が聞いたらひとたまりもないだろう。日本語を勉強している外国人に聞かせでもしたら、「日本語なんてできるわけねえ...」と奈落の底に叩き落されること必至だ。ネイティブの私はきちんと
・手術が出来る状態であること
・手術の日程
の2点をしっかりと把握し、医院を後にした。なんかTOEICのリスニングを受けた後みたいに疲れた。

手術の日程はこの日から二週間後だった。手術一週間前からはコンタクトの装着を禁じられていたため、家でしか使っていなかったクソダサいボロボロの眼鏡で一週間出社するという憂き目に遭った。こんな時の為にもっと前から眼鏡新調しておけばよかった...。というやり場のない後悔が渦巻いていた。しかしこれは夢の裸眼生活への切符なのだ。「眼鏡汚っ」という友人の罵倒も夢の実現を後押ししてくれていた。その声援を一週間ひとしきり受けたのち、手術を受けるべく再び眼科の門をくぐった。

~つづく~

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