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川崎から熱海まで24時間不眠で歩いた話~第五章~

夜中に断続的に降る雨は室内で眺める分には風流だ。しかし、その雨を全身に受けながら歩くというだけでその趣は消え失せる。心に浮かぶのは「はやく止めよこのクソ雨が!」という文化度0%の罵詈雑言のみだ。
身体の疲労も相まって精神的に辛くなる夜半。この時間帯をなんとか乗り越えようと、私は極力明るく振舞うことを心がけていた。先ほどの罵詈雑言は心のうちに留め、「いけるぞ!いけるぞ!」と根拠も無いのにポジティブな言葉を吐き散らかしたり、ボケを頻発して相棒のGを笑わせにかかった。
しかし、この行動は全て裏目に出てしまった。
というのも、Gは眠気と疲労でかなり参っており、私のボケに突っ込む余裕が無かったからだ。数撃ちゃ当たる理論で質の悪いボケを量産したことも災いしたのか、Gのフラストレーションはかなりたまっていたようだ。笑うどころかむしろ歩くことに集中したいから少し黙っててくれと言われてしまう始末。私の芸人魂は線香花火のように心からちぎれて地に墜ち、ジュッという音を立てて鎮火した。恐らく小田原にはスベった事に対する負の感情が特級呪霊となって今も徘徊を続けていることだろう。

辛い時こそ明るくいこうぜという私の思いと、辛いときは集中を高めて乗り切りたい、というGの思いに乖離が生じてしまった。これ以上余計な事は言うまい…
多少の気まずさを感じていたが、全くコミュニケーションを取らない訳にはいかない。ルートの確認や、休憩を取るタイミングのすり合わせなど、最低限の会話は継続し、一歩一歩濡れて黒光りした地面を踏みしめた。

昼間は多くの人で賑わっていたであろう観光地も丑三つ時とあって寝息を立てている。周囲に響くのは私たちの足音と呼吸音だけだ。私の罵詈雑言が届いたのか、この頃には雨は止んでいた。たまには天に唾するのも良いものである。

小田原も終盤に差し掛かったころ、道路標識に「箱根」の文字が見えた。ここを真っすぐ行けば箱根に着くのか。箱根駅伝のランナーたちもここを通ったのだろうか。沿道にたくさんの人たちが詰めかけ、押し合いへし合いランナーを見ようとしている光景を想像し、学生たちの熱い戦いに思いを馳せた。大学名を記したのぼりが数メートル間隔で島を作り、自分の学生の到着を今か今かと待っている。架空の声援は私たちバカ二人に向けられたものだと思い込むことにした。それだけで少し力が湧いてきた。想像力ってすごい。
しかし私たちの目的地は箱根ではない。芦ノ湖ではなく熱海に向かうべく、コースアウト。私のタスキは次の仲間に繋がる事は無かったのである。

とまあ脳内お花畑状態に陥っていたのだが、箱根駅伝をコースアウトした辺りでさすがに私も眠気に襲われ始めた。ここまでペースを飛ばし気味で来ていたこともあり、反動が来たのだろう。しかしありがたいことに、それと入れ替わるようにしてGが元気を取り戻し始めた。
私の眠気上昇、Gの眠気下降、この2つが需要曲線と供給曲線のように交わったところで私たちの会話量はまた増えだした。

少し会話が増えてきたところで、眠気覚ましにコーヒーを入れようという事になった。簡単に言うとドーピングである。これで日の出までは何とか眠気はもつだろう。あとは日光が覚醒させてくれると信じていた。
筋トレを愛する私たちはもちろんブラックコーヒーをチョイスした。余分な糖質は入れまい。8月といえど、雨上がりの夜半は少し冷える。熱々のコーヒーが喉を伝い、身体の中心からじんわりと温めてゆく。

ここでGがある作戦を思いついた。私たちのチャレンジの様子をインスタライブで配信しようと言うのだ。コーヒーに続いて眠気を吹き飛ばす二枚目のカードを切ろうという事らしいが、私は冷静にツッコミを入れた。
「誰が見んねん」
と。申し訳ないがGのフォロワー数はそんなに多くないし、ほぼ彼の知り合いだ。しかもお盆休み初日の夜中3時である。そんな時間にこんな奴らのインスタライブを見る奴なんて私たち以上のバカだ。

とまあ最初から期待なんてしていなかったのだが、別にやることも無いのでインスタライブを決行することにした。Gに出発時から持たされていた自撮り棒がようやく登場することとなった。重いしリュックのスペースを奪う事しか能の無いこいつを私はクソ棒と呼んでいた。
休憩中のコンビニ前、尻ズレに苦しむ男と、股ズレと脇ズレに苦しむ男の2名による地獄のインスタライブが始まった。
しかし、いざカメラが回ると何を話していいのか分からない。見る奴なんている訳ないのになぜか緊張した。とりあえずチャレンジの概要と、現在地や疲労の状態をかいつまんで話した。もはやデジタルタトゥーである。
「くそつまらん話やなあ」
と我ながら思った。初めてだから仕方ないといえばそうなのだが、せめてもう少しうまく話したい、と、なぜか真剣に悩みだした矢先、視聴者が一人現れた。
目を疑うとはこのことだ。この時間に起きている人がいることが驚きだが、一体どんな奴が見ているんだ。
彼はGの地元の友人らしく、草野球の試合に参加するために車で東京へ向かっているというらしい。しかも今は名古屋を超えたあたりにいるという。
特大ブーメランであることは重々承知の上で言わせてほしい。彼はバカだ。3人目のバカがいた。なぜ車を出すのがその時間なのか…

バカどうしとは言え、ほぼ初対面の人と話すのは緊張した。しかも相手の顔が見えない。まあGの旧友だから二人が思い出話をしてくれればいいやと思っていたが、唐突にGは自撮り棒、もといクソ棒を私に託し、コンビニのトイレに向かいやがった。
ちょっと待ってくれよ、俺を一人にしないでくれよ。去っていく人間の背中がこんなに悲しかったことは無い。初対面の奴と何を話せば良いんだ。お願い、行かないで…!

しかし私の思いはGの尿意に惨敗し、彼はトイレへと消えていった。
まずい…、何から話せば良いんだ…。こんなのマッチングアプリで初めて女性に会うときより緊張する。
とりあえず「あっ、こんちは~、アハハ…」といった感じの軽めの挨拶で何とか場を持たせる。顔面を両側からワイヤーで引っ張られたように引きつった笑顔を浮かべていた。
俺のバカ!こんちはじゃなくてこんばんはだろ!今は夜中だぞ!…いや、時間的にはもうおはようか?
まずい、相手の反応も微妙である。
いやあ、ここまで歩くとかなり疲労がたまっていてねえ~…
だめだ、全然面白くない。相手も全く笑っていない。顔は見えないのにひきつった相手の顔が脳裏に鮮明に焼き付いた。やっぱり想像力ってすごい。
かといって無言は気まずい。あー、インスタってやっぱクソだわ。なんでこんな思いしなきゃいけないんだこのバカ!
と怒りの矛先がインスタそのものに向き始めた時、トイレを済ませたGが戻ってきた。救世主、メシアの帰還である。もし彼のトイレが大きいほうだったらここで全精神力を使い果たし、コンビニの前でのたれ死ぬところだった。これを読んでいる皆さんも、初対面の人たちを2人きりにするようなマネはしないと約束してほしい。あの時間ってめちゃくちゃ気まずいのだから。

嵐のような時間が過ぎ去ったことに胸を撫で下ろし、クソ棒を抱えて再び歩き出した。人が全く通らない時間帯だからこそ許される歩きスマホだ。もう昼間のように前方の人に警戒する必要も無い。
私一人だと心もとなかったが、Gと一緒なら友人との会話も楽しかった。二人は思い出話や近況報告に花を咲かせ、時折ボケるGに対して横から私がツッコミを入れていく王道のような流れが出来上がった。あれだけ私に喋るなと釘を刺していたGがみずからボケをかますほどにまで回復している。ここに私はインスタのパワーを見た気がした。美味しいごはんよりも、適度な休憩よりも、瀕死寸前のGをここまで蘇らせるインスタとは一体…
おかげで精神的にかなり楽になった。やはり会話が続くというのはそれだけで心を軽くしてくれる。インスタの発明者に初めて感謝した夜だった。

しばらく配信を続けていると、もう一人視聴者が現れた。バカ4人目の登場。しかも女性である。彼女もGの地元の友人らしく、このバカなチャレンジを見守ってくれていた(と信じたい)。初対面の私はおなじみの「あっ、こんちは~」という間抜けな挨拶を放ち、ニヤニヤしたアホ面をぶら下げていた。もう引きつってはいなかったが、気持ち悪い事に変わりはない。
特に私から話すことはなかったのだが、重要なのはGが元気になることであり、彼のテンションさえ上がってくれれば私はどうなろうと構わない。圧倒的自己中人間だと思っていたが、人の幸せを願う心が私にも残っていたようだ。もうインスタを唾棄すべき存在としてディスるのは金輪際やめにしようと誓った。

やがて歩道の無い道も歩く羽目になり、路側帯にはみ出した草木が身体を撫で付けた。先ほどまで降っていた雨の雫を孕んでおり、歩くたびにTシャツが湿って不快だった。夜道にはインスタでつながったバカ共の笑い声と、時折通過する車の風切り音が響いていた。
歩きながら私は恩田陸さんの「夜のピクニック」を思い出していた。あれはもっと綺麗で文学的な青春小説だったが、夜通し歩くという点ではこのチャレンジと内容は変わらない。
ふと後方を見ると、遠くの岬に江の島の灯台が見えた。夜半でも街の明かりと満月の光を受け、薄明の夜空にそのシルエットを浮かび上がらせていた。
「おい、江の島が見えるぞ!」
何の気なしに前を歩くGに呼びかけた。
「どれどれ?」
Gが振り返ったその時、南の空に一本の光の筋が現れ、一瞬で消えた。火球のような大きい流星だった。天頂から水平線にかけて長い尾を引きながら真っすぐ落ちるように流れた天体はとても美しく、1秒も空に留まってはくれないその潔さに私たちは心を奪われた。一瞬の静寂の後、私たちは久しぶりの再会を果たした女子学生のようにはしゃぎ合った。
「今の見た!?!?」
「すげえ!マジすげえ!!」
わざわざ文字にするのも馬鹿馬鹿しいほどの薄い感想を並べ立て、スマホの向こうで何が起こったか呑み込めていない視聴者を置き去りにしていた。
Gの振り向いたタイミングが本当に絶妙だった。これ以上無いシチュエーションで流れた流星はこのチャレンジにおける吉兆か、それとも…

ひとしきり騒いだ後も、インスタライブのトークと歩くペースは絶好調だった。気づけば視聴者はまた一人に戻っていたが、突如現れた彼によって私たちの精神は救われた。みんな喋り疲れたころで精神安定剤の役目を果たしたインスタはお役御免となり、総視聴者数2の伝説のライブは幕を閉じた。それでもGの気力が衰えることは無く、私たちの会話は良い雰囲気を保っていた。

もう雨が降る気配も無い。東に見える江の島、その背後の空からだんだんと闇を失ってゆき、映像では決して表せない黒のグラデーションが広がっていた。
海の上に浮かぶ層積雲の底部がだんだんと茜色に染まっていき、まだ見ぬ太陽の到来を感じさせた。遠くに見下ろす波の形も薄く視認できた。もう懐中電灯は必要ない。そして夜明けの気配が濃くなった頃にようやく小田原を抜けた。

小田原脱出時の標識。無機質だが感動した。

まだ筋肉も骨も痛みの声を上げていない。前回のチャレンジを超えたな…と、一人ほくそ笑み、満足感に浸っていた。
しかしまだ熱海まで10km以上ある。気を引き締め直し、さあラストスパートだ!行けるぞ!
とGに発破をかけた。
その鼓舞を無視するGはもういなかった。
「おう!」
と元気よく答えた彼はまた上裸になっていた。暁の大胸筋は曙に染まっており、もう日の出が来たのかと錯覚させるほど頼もしかった。

~第6章へ続く~
次回、完結!!


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