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お菓子を作る

お菓子が好きだ。甘いものが大好き。虫歯や肥満の原因として避けるべきものではあるが、そのおいしさと美しさの魔力に勝てない。これはもはや依存症の域かもしれない。

わたしが一番最初に作ったお菓子はクッキーだ。小学校の低学年の頃だったと思う。それまでビスコとか、マリーくらいしか食べたことのなかったわたしは、友だちのお母さんの手作りクッキーやドーナツを食べさせてもらって、「お菓子は手作りできるのか!」と知った。

「クッキーを作ってみたい」と言ったら、戦中戦後を生き抜いたおばあちゃんが「わたしはそんなハイカラなお菓子を作ったことはないが、やってみてごらん」と手伝ってくれた。

おばあちゃんは、小麦粉を「メリケン粉」と言った。バターではなく、「ばたあ」と言った。「ばたあを100gて書いてあるけど、マーガリンしかない」と言うので、わたしは妥協した。それを砂糖と一緒に、泡立器でゴリゴリと混ぜ合わせる。「のばし棒ある?」と聞いたら、「すりこぎならある」と言うので、それで代用した。

アルミホイルをストーブの上にのせ、すりこぎでいびつに延ばしたせんべいみたいなクッキーを並べる。型抜きなどないので、コップで丸く抜いた。すぐに飽きて、粘土細工みたいに指で、星とか猫とかの形を作った。

焼きあがったものは、カチカチで容易には歯が立たず、さして甘くもなく、マーガリンの風味としょっぱさがそのまま活きていて、少しもおいしくなかった。泣きそうだった。おばあちゃんも一口食べてみて「おいしいよ」と言ってくれたが、二つ目には手をつけなかった。

その数年後、ようやくベーキングパウダーだのアーモンドプードルだのを知る。砂糖は「え?こんなに?」と思うほど入れるし、粉類は一旦ふるってから使わないとフワッとならないし、無塩バターでないとかなりしょっぱい味になることもようやく知った。それまで駄菓子や、お菓子メーカーの大量生産のクッキーやビスケットしか食べたことのなかったわたしも、ケーキ屋やクッキー専門店の焼き菓子を食べる機会が増え、お菓子への憧れが募った。

どういうわけか、当時、家には大量の料理本があった。料理だけでなく、お菓子の本も多かった。母が作ってみたいと思って買い集めたものだろうが、母は仕事が多忙でお菓子を作ることはなかった。「これ作ってみていい?」と、本を借りようとした時も「汚さないように丁寧に扱って」と釘を刺された。母はわたしの素行を知り尽くしているので、バターや小麦粉で本が汚れることなど容易に想像できたのだ。しかし、そもそもお菓子を作れる設備はわが家にはなかった。オーブンがなかったのだ。電子レンジはまだ一般的ではなかった。だから、本は眺めるだけに終わった。

お菓子の本を眺めるのは楽しかった。「ババロア」とか「クグロフ」とか、馴染みのないお菓子の名前におどろき、その姿に見惚れ、味を想像していた。ゼラチンを買うためにバスで街まででなければならないような九州の片田舎では、どう考えても材料が揃わないし、型などどこで手に入れていいのかもわからなかった。今思えば、すべて「プロフェッショナル」とか「マイスター」によって構成されていた世の中だった。餅は餅屋、お菓子はお菓子屋。家庭で作られるものと、店で出すもののクオリティが歴然と違っていた時代だ。情報は少なく、わざわざ教えてもらわないと、お菓子づくりのコツなど知る術がなかった。

あれから、どんどん世の中が変わっていき、今や小学生でもプロ並みのお菓子を作り、バレンタインデーなどに配る時代だ。ムスメもわたしに「検索していい?」と言って、クッキーのレシピをググるし、抜き型も麺棒もオーブンも、一連の道具を使いこなす。アイシングクッキーなどは、ムスメの方が上手いくらいだ。

昔と変わらないのは「お母さん、これ作っていい?」とわたしの本を持ってくるムスメに「汚さないようにしてよ」と釘をさすことくらいだ。



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