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かけない

「練習を1日休めば自分にわかる。2日休めば批評家にわかる。3日休めば聴衆にわかる」

ここのところnoteを休んでいる。帰宅後に倒れ込むように寝て、夜中に目が覚め、日付が変わる前になんとか画像だけ貼り付けて投稿。そんなことを繰り返していた。そうまでして連続投稿にしがみついているのだった。

書き方を忘れてしまった。わたしは本当に文章教室をやっているのだろうかと思うくらい書けない。脳が働かないのだ。これは見方を変えると、それくらい疲れている、つまり日中、ものすごく頑張って働いている、ということでもある。そう考えるしか救いようがない。

すごく頑張っている気もするのだが、わたしは何を目指しているのか。どこへ向かおうとしているのだろうか。ただ、やみくもに前に進んでいるような気もするし、それが前なのか後ろなのかもよくわからないし、もしかしたら、独楽のようにクルクル回っているだけなのかもしれない。

そういえばこれまで、言語化することでわたしは気持ちを整理してきた。だが、ここにきて、整理できないことが増えている。情報処理能力が落ちていることを実感している。それを全部棚上げしてしまって、整理しきれないままに蓋をしてしまおうとしている。

部屋と脳内はリンクしていると聞いた。部屋が散らかっていると、頭の中も散らかっているらしい。確かに処分できないものが部屋に溜まっていて、捨てていいものかどうか、考えがまとまらない。それにも増して、問題なのは、オットやムスメが新しいものを持ち込んでくることだ。

今日、ムスメは他校の文化祭に行った。そして、博多人形をもらってきた。人形。一番もらいたくないものの一つだ。「どうしてこれを持って帰ってきたのか」と聞いたら「あげます!!って渡された」と言う。「あ、はい…」と受け取ったらしい。染織学科の伝統工芸の授業の課題らしく、「先輩が置いて行った作品を配っています」ということらしい。いや、先輩が置いて行ったのは、いらんからやろ。人がいらんものをなぜ配る。そしてなぜそれを受け取ってくるのだ。

わたしの頭の中がまた一つ、混乱する。頭の中は整理されないまま、また書けない日が続く。





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