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さよならタマゴ

これからここで、個人情報を駄々洩らしますけれども。今日、お医者さんに「生卵を控えるように」と言われた。「お肉も、脂っこい料理も」と追加された。「卵は加熱すれば大丈夫ですか?」と訊いたら「いや、加熱してもあまりよろしくないので、できればやめて」との返事。わたしの体内には「石」があり、それが痛みを伴う病気の原因になる。だから石をあまり刺激しないように、つまり胆嚢に負担をかけないように、ということらしい。

マジかー。さよなら、完全栄養食品。さよなら、見た目も可愛く、便利な食材。さよなら、なんとなく冷蔵庫にあるだけで安心感を与えてくれた卵。

家族が食べるから、これからも冷蔵庫には常備すると思う。調理もするだろう。しかし、食べてはいけない。これはなかなかな罰ゲームだ。

たまにしか食べないが大好きな茶碗蒸しもダメか。あっ。マヨネーズもダメじゃん。そうなると、ポテサラも春雨サラダもダメかー。サンドウィッチのパンに塗るのもダメだな。

そもそもわたしは卵が好きではなかった。子どもの頃、食卓に玉子焼きが出ても特に嬉しくはなかった。遠足のお弁当に茹で卵が入っているとガッカリした。もそもそした黄身が歯のうらにくっついたり、喉に詰まりそうになったりする。そしてあの独特のニオイだ。マヨネーズも好きじゃなかった。酸っぱいし、ベタベタしていて口の中で味が固まってしまう。

大人になって初めて「だし巻き」を食べた。なんじゃこりゃああ!と心の中で叫びながら、「卵はもしかしたら美味しいのかもしれない」と思うようになった。卵豆腐も、茶碗蒸しも「美味しいなー」と思って食べたのは大人になってからだ。トロトロ卵のオムライスや、スフレ状のオムレツも、どれも好きになった。

しかし、ここ最近まで、マヨラーには否定的だった。なぜマヨネーズをなんにでもぶっかけてしまえるのか。なぜそのまま飲めるのか。ポテトサラダは世の中になくても構わない料理の一つで、お好み焼きにマヨネーズをかけるのさえ遠慮したかった。

ところが、結婚したらオットが「ポテサラ食べたい」と言う。実はじゃがいもも苦手だったので、「うへえ」と思ったが、まあ、がんばってみた。イモはもっと滑らかになるまで潰して欲しいとか、りんごを入れてくれとか、マヨネーズをたっぷり入れて、クリーム状になったポテサラが好みだとか、とにかくリクエストに応えて改良を重ねた。毎回、味見を重ねるうちに、抵抗がなくなってきたのだった。

これからもっと仲を深めて行こうかという矢先。突然の別れ。

はたと気づけば、たいていの焼き菓子には卵が含まれている。カステラも、ケーキも、クッキーも。和菓子だって黄身餡を使ったおまんじゅうも多い。
これはどうしたものか。

食事制限がある人の辛さをよく理解できるようになった。そう思えばまた一つステップアップ(?)と考えられなくもない。けれども「あなたのことはそれほどでも」と思っていた相手とはもう会えないとなったら、妙に未練がましい気持ちになるのは何故だろうか。

それはまあ、わたしが食いしん坊だからに他ならない。




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