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香港が遠い

香港に行ったことがある。古い話。1997年の返還以前のことだ。

通訳をしてくれたJはわたしより年下だが、すぐに仲良くなった。Jは当時もかなりの日本通で、特に芸能関係はわたしの知らない日本の情報まで知っていた。彼女の向上心たるや、本当にバチバチと音がするくらいの熱気があり、ボヨヨンとした生活をしているわたしは恐れ入った。そして、20年を経た今、彼女は香港を訪れる日本人のアーティストやタレント、映画監督などの通訳をし、芸能関係ではかなり名の通った存在になったようだ。それなのに、こまめに連絡をくれて、来日の時には会おうと言ってくれる。

だから、と言うのも変だが、「香港にはJがいる」と思うと、その距離がとても近く感じられた。ありありと思い出す、生鮮、青果の並ぶ市場の匂い、朝ごはんの屋台、建設中ビルの竹製の足場。陽が落ちた後の怪しい路地裏、
蓮の実と甘い小豆の入った飲み物、恐る恐る食べた亀ゼリー、鳩を食べた後で円卓をくるりと回し、嘴がさす方向に座っている人がみんなを奢るというルール。ところが、百万ドルの夜景も見たが、覚えていない。早朝の公園で太極拳をやるおばあちゃんたちは覚えているが、どのホテルでどんな部屋だったか、全く思い出せない。

ぼんやり交差点で信号待ちをしていた時「ハイ」とチラシを渡された。Jに読んでもらうと「ああ、これ、求人の広告ね」と。デパートでは店員さんに広東語で話しかけられ、Jも時々、相手を取り違えて、通訳すべき相手に向かって日本語で話し、わたしに広東語で話を繋いだ。そんなに現地の人に見えるのか、と聞いたら「あなたは南方の顔だ」と教えてくれた。同行したもう一人の女性は、上海あたりの「北方の顔」らしい。

きのう定食屋のテレビで見た香港の映像は、そんな思い出を全部、遠い昔に送ってしまった。これが現実、と思うのだが、切ないような虚しいような苦しいような気持ちだ。

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