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平成最後にスマホがなくて

スマホがわたしの世界の窓だ。

それは、いつの間にかそうなっていた。わたしが、いわゆるガラケーからスマホに切り替えたのは2年前で、よんどころない事情があってのことだが、使い始めたら毎日それがないと不便を感じるようになった。

今朝、娘が部活の友だちと買い物に行く、と言った。彼女たちは中学生になってすぐにスマホデビューを果たしていて、連絡手段はすべてラインだ。待ち合わせ場所も曖昧で、乗る地下鉄の時刻も決まっていない。「10時くらいに駅ね」。ラインでしか繋がっていない仲間との連絡は、キッズケータイの娘には、取りようがない。そこでかなり躊躇したが、スマホを貸した。わたしのスマホのラインには、あらかじめ彼女たちのグループラインが登録してある。

娘が出かけてから、すでに9時間が経つ。その間、わたしには情報源がなかった。パソコンとWi-Fiがあるから、そこからネットを見たり、ラジオでニュースを聞いたりすればいいのだが、かなり億劫なのである。これはかなり依存している、と感じる。せめて、この連休の間くらいはスマホから離れてみようかと思う。

…とここまで書いたのだが、その決意は、娘が帰ってきて、わたしにスマホを返した時点で消え去った。テクノロジーの利便性を使いこなすのではなく、依存してしまっている。ああ、なんて便利なんだろう。恐ろしい。





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