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めもれよ

夕食を作りながら、考え事をしていた。「あ、このことをnoteに書こう。今日のnoteは長文になるぞ」と思った。

夕食が終わって、お風呂に入って、さあ書こうと思ったのに「????」。何を考えていたのか、完全に忘れてしまっていた。映画『君の中は』で、掌に名前を書こうとした途端に世界が変わってしまって、次の瞬間にはもう名前を思い出せない。あの感じだ。今日だけではない。ここ数年、数限りなくこの現象が続いている。

メモ帳も用意してある。ペンもたくさんある。が、たいていは、歩きながら、料理をしながら、お風呂に入りながら、と、メモができないタイミングで何かを思いつく。トイレで思いついて、洗面所で手を洗っているうちに忘れてしまう。

星野源がシャワーを浴びながら思いついた曲を「あ」と言いながら出てきて素っ裸でびしょびしょのまま書き留めた、という話をラジオで聴いた。それくらいの危機感というか、出来立てをそのままお届け感というか、気合を入れていかねばならんということだろうか。

たぶん、「あ」と思いついて、そのままパソコンの前に座ったら、きっとわたしは書き始めてしまうだろう。家事が滞るし、仕事には行けなくなるし、家族の生活のリズムをズタズタにしてしまう。だから、後回しにする。

結婚とか出産とか、他人と暮らし始めた時から、それはわかっていた。自分のことは、ほとんど後回しにしなければならない。メモをしたところで、時間が経つとその意味さえもわからなくなってしまうのだ。だから、いつの間にか書くことをあきらめていたのだ。あきらめたら楽になったが、復帰はもうできないという覚悟も必要だったのに、覚悟は決まらなかった。

結局、また書こうと思った。家族のせいにばかりはしていられない。書くと決めたんだから、自分で責任持ってその体制を整えねばならん。まずはメモだ。

…と、ここまで書いたところで、ムスメが「今話しかけていい?」と聞いてきた。うん、と返事をして5分くらいの話を聞いた。ムスメの推しの話で、すごく楽しそうだ。うんうん、とうなずくが、内容は半分も理解できない。ただ、ムスメが楽しそうにしているので、穏やかな気持ちで聞き入った。

そして、今日のシメをどう書くつもりだったのか、すっかり忘れてしまった。


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