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きんつぎ

不思議なもので、陶器でも磁器でもガラス器でも、器は大事にしているものから割れていく。お気に入りの湯飲み、茶碗、マグカップ、皿、丼、ガラスのコップ…欠けたり割れたりしたものは、どれも泣く泣く捨ててきた。

金継ぎという工芸技術があるとは知っていたが、それは職人の技で、一般人がやるようなものではない、と長年思っていた。しかし、一般人でもやっていいのだ。趣味として嗜む人は意外に多いらしい。

わたしは結構いろんな職業を経て今に至るのだが、カルチャーセンターで働いたこともあって、その時に「金継ぎ教室」は飛び抜けて受講生が多かったのを覚えている。講師が全国を飛び回って教えていると聞いたので、やはり金継ぎは人気の趣味のようだ。

そのカルチャーセンターには、華道や茶道の教室もあって、破損した高価な花器や茶器があった。それを金継ぎ教室の先生に修復をお願いして、それが出来上がってきた時、美の世界はつながっているのだなと納得した。工芸の職人が、華道、茶道、香道、といった文化を支えているのだ。ひと連なりの世界を垣間見た気がして、ちょっと嬉しかった。

さて、2週間くらい前にTSUTAYAに行った時、ムスメがこの金継ぎキットが置いてあるコーナーを見つけて、わたしを呼んだ。そして「これはいいよ。これはぜひ欲しい」と言った。わたしは値段を見て、「気持ちはわかるが、これはまあまあのお値段だから、今日は買えない」と答えた。ムスメは「なら仕方がないねえ」と言って、わたしたちは家に帰った。

それから2週間、すっかり忘れていたのだが、なぜか地下鉄のエスカレーターに乗っている時、ふと「あのキットはやっぱり買っておいた方がいいのでは?」と思った。その日は給料日で、ちょっと気が大きくなっていたせいかもしれない。

TSUTAYAに行くと、そのコーナーはもう撤去されていて、金継ぎキットはどこにもなかった。「あのー、2週間くらい前にあった金継ぎのキットはもう置いてないんでしょうか」と聞いてみたら、「申し訳ございません」と店員が深々と頭を下げた。「あのコーナーはもう終了してしまっていて、在庫は裏に置いていますので、お持ちします」あれ?もうないから頭を下げたわけではないのか。

「これは、博多漆芸研究所、というところが販売しているんですが、ここは自然素材だけを使っているそうですよ」と店員が言う。む。その名称は聞いたことがある。わたしの大事な茶碗が割れた時、ムスメがググって「博多漆芸研究所」という所があるから、そこに持って行ってみたらどうかと教えてくれたのだ。なんかご縁があるのかもね、と思って買ってみた。

わたしは買うと安心してそのまま放置するタイプなのだが、今回はさっそく取りかかろうと思って箱を開けた。開けてびっくり。手書き。ということは、このキットは研究所の人がひとつひとつ自分で用意しているのだ。たぶん、そんなに大人数でやっているわけではないだろう。俄然興味が湧いてきた。

パッケージの住所を見てみたら、行けない距離ではない。近いうちに行ってみたいと思う。


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