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怒られなかったこと

料理の下ごしらえをした。ポテトサラダを作るためにジャガイモを茹でた。その茹で汁で鶏ミンチの肉団子を茹でた。いい匂いがしたのでそれを飲んでみた。おや、これはちょっと塩と生姜を足せば、美味しいスープになるじゃないの。それで味を整え、明日の朝に飲もうと思って鍋を火からおろした。

ちょっと待て。味はいいが、鍋の様子はちょっと。茹でたジャガイモのかけらが散らばっているし、すりおろした生姜が鍋底に沈殿している。鶏の油が浮かんでいて、料理というにはあまりいい感じの見た目ではない。このまま置いておいたら、スープとは思わずに誰かが捨ててしまうかも。

わたしは子どもの頃、お手伝いをする子ではなかった。洗い物をしてと言われて渋々と茶碗を洗うような子だった。母は完璧主義なのか、給食の調理員のこだわりなのか、洗い物も、調理も、なにかと口うるさかった。油モノに使った皿と、湯のみは別々に洗えとか、野菜の大きさは揃えて切れとか、まあ、主婦になった今となっては母の言いたかったことがわからないではないが、言い方が厳しかった。母と並んで台所に立つと、何が気に入らないのか、いつもピリピリしていた。だからわたしは台所から遠のいていった。

ところが、時々「お手伝いしよう」という気持ちになった。茶碗や皿を洗い、ガスコンロに乗せたままのフライパンや鍋を洗った。鍋に液体が入っていたが、醤油が水で薄まったような色だったから、何かの洗い残しかなと思って流しに捨てた。鍋をキレイに洗っておいたら、風呂から上がった母が「あっ!」と大きな声を出した。「鍋の中身、捨てた?」と聞かれて「うん」と答えたら、「かつおダシを取っていたのに…」と言って、空っぽの鍋を覗き込んだ。うわ、怒られる!と思ったら、「あーあ。やり直しだ」と言ってその場を離れた。思い返せば、わたしがそういう失敗をした時、母は怒らなかった。幼児期のことはあまり覚えていないが、小学校3年生か4年生の頃、一度だけおねしょをしたことがある。その時も、「あらら」と母は笑ったが、怒りはしなかった。

そのせいか、わたしもムスメやオットが失敗した時には怒らないでいられる。失敗した本人が一番ショックだとわかるからだ。普段はしょっちゅうムスメにやいのやいのと口うるさくしているが、『失敗』の時は、茶碗を割ろうが、何かを壊そうが、怪我はないかと聞いても「なにやってんだ」とは絶対に言わないようにしている。

そうすることでなんとなく、母が怒らないでくれたわたしの失敗の帳尻合わせをしているのかもしれないと思う。


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