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ギンガム

大先輩はいつもの紺のギンガムチェックのシャツにカーキのウインドブレーカーを羽織って、肩にはトートバッグを引っ掛け、両手をチノパンに突っ込んだ姿で、天神イムズの下りエスカレーターに乗っていた。上のフロアから見下ろしながら、わたしは割と大きな声で呼び止めた。当然ながらエスカレーターは動き続け、大先輩も下り続けながら「おーう、どげんしよっとね」と返事をする。

次のフロアでちょっと待っていてくれたので、わたしは追いついた。「お久しぶりです!」と言うと「元気しとったね」と笑う。大先輩はわたしとオットの仕事仲間だ。チームで仕事をするときの力関係は、わたし≧大先輩>オットだった。なぜならわたしは発注元で、オットは受注先。大先輩はオットの会社からの外注だった。

大先輩と一緒に京都へ出張したことがあった。朝イチの新幹線だったので、前日に「明日はぼくが朝ごはんにBLTサンドウィッチを作ってきますよ」と言ってくれて、わたしはすっかりお言葉に甘えた。

新幹線が下関を過ぎる頃、「はい」とアルミホイルに包まれた丸っこい塊を渡された。おや?サンドウィッチというのは、こんな形状だったろうかと包みを開けると、中にはバゲットのBLTサンドが入っていた。おー。おっしゃれ〜、と思っていると、また「はい」と手渡されたのはエビスの缶ビールだった。よく冷えていた。しかし、まだ午前8時過ぎだ。

え?今から飲むんですか?と聞いたら「え?仕事は午後からでしょ」と済ました顔でプルタブを開けた。プシュッという音がわたしに「まあいいか」という気持ちにさせた。この人は酒豪だ。缶ビール一本くらい、水みたいなものであろうよ。運転するわけでもないし、今日の仕事はクライアントにも会わないし。とはいえ、わたしは会社員だったので、ヒヤヒヤしながらチビチビ飲んだ。当時、社会は飲酒には寛容な風潮だったが、バレたら始末書ものだったと思う。若さゆえの無謀さ。今ではとてもありえない話だ。

ビールの味はあまり覚えていないが、BLTサンドはすこぶる美味しかった。バゲットに塗られたバターの風味とマスタードを効かせたドレッシングが、カリカリのベーコンと厚切りのトマトに良くあった。齧るとシャキシャキのレタスがはみ出してしまって、顔の位置を変えながら食べた。

ビールとサンドの組み合わせ、初めて食べました。と言ったら、「まー、若いうちは、いろいろと試してみらんですか」と大先輩は笑って、読みかけの小説をバッグから取り出した。

いつだったか仕事の打ち上げの席で、「ぼくは、仕事のない日は午後5時にはマティーニを飲むと決めています」と聞いたことがある。「自分で作ります」と言うので、「わー、一度飲ませてください」とその場のノリで言ってしまった。「いいですよ。いつでも連絡ください」と言われたが、酔いが覚めてみると、大先輩の自宅に訪ねて行って、お相伴にあずかるなんてことは、若造のわたしには恐れ多いことだった。そのまま20年経ってしまった。

大先輩が今でもそれを覚えているとは思えないが、わたしは自分で頼んでおきながら、棚上げにしていることを後悔している。あれは社交辞令だったと思われたくないのだ。あれ?もしかして、今日ここで会ったのは、そのため?と一瞬わたしの頭の中に冷えたグラスの映像がよぎった。外でもいい、大先輩と今飲まずにいつ飲めるというのか。

「今日からまた、撮影が始まったんよ」大先輩はライフワークのように、毎年、あるメーカーの焼酎のC Mを作り続けている。わー、今日から緊急事態宣言で、現場は大変ですよね、と言ったら「いんや、田舎で撮るけん。なんも問題なかよ」と笑った。そして「ほんなら、またね」と片手をあげた。

はい、失礼します、と言うわたしの声にかぶせるように大先輩は「元気でね」と言ってドアから出て行った。はい!と返事をしたが、なぜわたしはあの時「先輩もお元気で!」と言わなかったのか。

言霊が好きな人を長生きさせるなら、わたしはいくらでも声を出すべきだ。



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