かかない
『書かないと死ぬ』と思っていた時期がある。とにかく息がしづらくて、何かが胸につかえるような日々。今思えば、それは未熟な他愛もないようなことだったが、毎日なにがしか考えて考えてそれを書いて、時にはそれを友人知人に郵送したこともある。その節はご迷惑おかけしました。
さて昨今のわたくし『書かないと死ぬ』を通り過ぎてしまって、『書かなくても死なないよ、別に』ということがわかった。その代わり、胸につかえるようなことを放出するには喋ることが重要だということもわかった。
そう考えると『書かないと死ぬ』の時期は、喋る相手とか、時間とか、そういう環境がなかったことになる。いや、その環境はあっても、自分がその方向に意識を向けていなかったということだろう。
喋ると楽になる。笑うと気が晴れる。重い問題も喋りながら自分の中で整理ができる。書かなくても、喋って良い環境さえあれば、わたしは『書かなくても死なないよ、別に』と思える。
ただ、厄介な問題にも直面する。『喋ると死ぬ』いや、『喋ったことで死んだほうがマシ』な状況に陥ることもある。いわゆる『墓穴を掘る』だ。これは身内との会話で起こりやすい。
こんなことがあった、そしてこういう指摘を受けて辛かった、と話したら「それはあなたに非がある」と正論をぶつけられ、ささやかに反発すれば「そういうところなんじゃないの?」とトドメを刺される。
全部わかっている。わたしも大人なので、自分の非を棚上げして失敗を正当化しようなんて思わない。ただ、「つらかった」「自分が嫌になる」というようなことをわかって欲しいだけなのだ。ジャッジを求めているのではない。アドバイスもいらない。もっと言うと、わたしを凹ます人の悪口も必要ない。ただ聞いてくれればよくて、ただ「そんな日もあるさ」と笑ってくれればよかった。だが、それも叶わないことがわかった今、一周回ってやっぱり『書かないと死ぬ』のかもしれない。
いつかは、書いても書かなくても、きっと死ぬのだとわかっているのだが、その日がくるまでわたしは書いていたいと思う。