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水槽を洗う

最初に断っておくのだが、わたしは金魚が苦手である。世の金魚好きのみなさんを敵に回すつもりではないが、とにかく苦手だ。実を言うと魚類全般が苦手で水族館は何が楽しいのかわからない。

そうは言っても、水槽に収まっている金魚も、水族館の水槽を回遊する魚も、わたしには距離があるからいい。ガラスや超分厚いアクリル板で隔てられたあっち側とこっち側で、文字通り同じ空気を吸ってない。生き物だもの。お互い平和に生きていきたい。

今日、久しぶりにフリースクールに出勤したら「水槽を洗ってもらえますか」と頼まれた。教室に置かれた30センチくらいの水槽がかなり黒ずんでいる。

以前に、「わたしは金魚が死ぬほど嫌いです」と伝えてあったので、「金魚はこちらでなんとかしますので、水槽だけ洗ってください」とのこと。もちろん、わたしはなんでも屋として雇われているのだから、やります。やるからには徹底的にやります。しかーし、水槽の水は臭う。敷かれた砂利は汚れていて、米を研ぐようにかき回して洗うのだが、いつまでも濁った水が浮き出てくる。そこに金魚はいないが、金魚の領域にわたしは手を突っ込んでいる。そう考えると鳥肌が立つ。

うへえ、とか、うっぷ、とか言いながら、1時間くらいかかって水槽を洗った。水を入れるとガラスの水槽は一人で持つには重いので、最初に水槽、次に砂利、最後に水をバケツで運んだ。教室に置くと先生が「ありがとうございました」と言って、金魚を水槽に戻した。赤くて長い尾ヒレをゆらりゆらりとくねらせながら、手のひらほどある大きな金魚が水槽の中をゆく。

金魚が嫌い。確実にあの時、わたしは金魚が苦手になった、という瞬間があるのだが、思い出すだけで身の毛がよだつ。その記憶に紐づけて、嫌な記憶がどっと押し寄せる。だからずっと記憶に蓋をしてきた。金魚のいる空間には身を置かないようにしてきた。金魚はどれも同じ。種類がなんだろうが色がどうだろうが関係ない。金魚は金魚だ。嫌いだ。あの冷たい水の中にいる、冷たい目をした生き物。

ところが、教室の金魚はこれまでの金魚とちょっと違った。人懐こいのだ。教室に誰か来ると「ちょ、来て、見て、ねえねえねえ」と水槽の中にある温度計をカタカタと鳴らす。いつも餌を与えている先生が水槽に近づくと、確実に「待ってました!」と激しくダンスする。人を見分けている感じがするのだ。「みかんちゃん」と名前を呼ばれて、くるくると泳ぎ回る。ふうん。こんな金魚もいるんだ、と思った。

とはいえ、わたしは金魚に親近感を持ったわけではない。常に一線を引いておきたい。もちろん、金魚に罪はないのだが。

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