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しょうわ

校区のファミリーバドミントン大会に出た。昨日から体調が悪く、とても出歩ける状態ではなかったのだが、町内から選出する人数が足りず、1ヶ月も前から頼まれていたので、当日「休みます」とは言いにくかった。ただ、初戦に負ければすぐに帰れるだろう。同じチームの人には申し訳ないが、わたしは戦力外である。

ファミリーバドミントンは1チーム3人。前衛1人、後衛2人という配置。シャトルには大きなスポンジのボールが頭についていて、ラケットの柄がとても短い。ルールも「打ち込んではいけない」「同チーム内で2度までなら打って良い(同一人物の2度打ちはダメ」など独自のものがある。そんなに激しいスポーツではないが、15点先取の3セットマッチである。長い。
町内会長は「がんばって!期待してますよ!」とハッパをかけてくる。

わたしは昭和生まれで根性論を叩き込まれた世代だ。大人から擦り傷くらいならツバをつけときゃ治ると言われたり、学校の教師からもちょっとの熱くらいで授業を休むなとか痛いと思うから痛いんだとか、そういう理論で「頑張り」を強要された。社会人になったら「24時間働けますか」の時代で、徹夜で頑張ることや人よりも長く働くことが美徳で、多少の体調不良なら会社を休めない、という風潮のなかで働いていた。

その残像がわたしの中にある。フラフラなのに開会式に出て、準備体操をしながら、「ここで倒れたら迷惑かけるよなー」とぼんやり考えている。そして、自分から魂が抜けたみたいに、自分を俯瞰で見ている自分がいた。このまま魂が自分から離れきってしまうんじゃないかとさえ思った。

試合が始まろうとしていた。初戦で敗退するつもりで来たが、試合はリーグ戦だし、同チームの若い夫婦が頑張りますと言っている。わたしもはずみで「がんばりましょう!」と言っていた。Z世代なら、そんなことは言わないだろう。そもそも休んでいるはずだ。

試合が始まり、すぐに失点した。この時である。相手チームのリーダーがニヤリと笑い、ありがとうございます、と言ったのだ。何に対してかはわからないのだが、わたしのミスをありがとうと言われた気がした。

ここで、体から離れていた魂がスッと戻ってきた。ムカつくことで「負けるか」というスイッチが入ってしまったのだ。次はその人が、自分のサーブが入らなかったのに、入ったと言い張る。イラっとした。すると目の焦点が合い、シャトルがはっきりと見え始めた。

頭の中はふらふらだが、体がなんとなく動く。バドミントンのような激しいショットではないので、「はーい」「はーい」みたいなリズムでラリーが続く。初戦はセットカウント2-1で勝った。

次の試合は相手チームが初心者ばかりで、2-0で勝った。そしてなんと決勝戦に進出してしまった。初戦で帰るつもりだったのに。

決勝ではイヤなタイプの相手と当たった。リーダーの女性が声を出しながらチームを盛り上げ、自分達のペースに持っていこうとする。とにかく大声でこっちの集中力を削いでくるのだ。やりにくいったらない。試合流れをどんどん持っていかれる。あっという間に1セット取られた。

しかし、同チームの若い夫婦も頑張っているのだ。足を引っ張ってはならぬ。体調の悪さを気合いで押し戻して、自分も声を出してとにかく気力だけで動く。これが昭和の人間の悲しさよ。ムスメの出身小学校の体育館。ここで倒れたら、伝説の人になってしまう。救急車で運ばれたり、あろうことか死んでしまったとしたら、わたしの幽霊が出るとかいう怪談まで出来上がってしまうだろう。『夜、警備員が見回ると、誰もいないはずの体育館でパシッ、パシッとシャトルを打つ音が聞こえる。見てみると、メガネをかけた小太りのおばさんがファミリーバドミントンのサーブ練習をしていた』みたいな。

という妄想をしながら死に物狂いで走り回ったら、セットカウント2-1で勝っていた。そして、取得点で優勝していた。

家に帰って速攻寝込んだ。明日はまた、ケロッとした顔で出勤する悲しい昭和生まれである。

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