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ムスメのグダグダを見て思い出したこと

今日、ムスメは部活が休みだ。学校はもちろん、夏休み中。

吹奏楽部はタフな部活だ。「中学2年の夏休みは、部活一色よ。」と聞いてはいたが、これほどとは。8時半から17時まで、部活。コンクール当日は、朝5時半集合。宿題をやる時間は自分で工夫して捻出しないと、到底足りそうにない。

そんな貴重な休みが今日。夕方からはコンクールの結果発表があるから、17時には学校集合。完全な休みではないにしろ少しは宿題が進むかも、と期待するも、ムスメは「朝練がないから好きなだけ寝ていられる。明日は昼まで寝る!」と宣言した。と、言いながらも今朝は8時半には起きた。そして、スマホ。SNSと電子マンガ。ツイッターで友達のツイートを反芻しつつ、漫画やイラストサイトをだらだらと見る。もう1時間半もスマホを見続けている。なんなの!宿題はやれる時にやらなきゃ。時間があるなら、あれもこれも…。

そんなムスメを見て、思い出したことがある。

以前、海外に住む友だちの家に1週間ステイさせてもらった。わたしは連日、昼過ぎまで眠り続け、彼女の家から出ることなくテレビを見続け、近所のスーパーやデリを往復した。日本での仕事も、プライベートも精神的にハードな時期だった。そのせいで、体がリセットを求めていたのだろう。起き上がれない、足が前に出ない。すぐに座りたくて、寝転びたかった。どこかに出かけても、すぐに部屋に戻って昼寝をした。日本にはない、美味しい果物を買い、それをつまみながらテレビを見て、わからない言語をただ音楽のように聴いていた。笑うことはなかったが、心の水面が波立つこともなく、穏やかで心地の良い時間だった。

4日目、友だちが本気で怒った。「何しに来たの?旅行でしょ?わたしだったら、ワクワクして、朝早くから夜遅くまで、行きたいところに出かけてるよ!寝てばっかりいて、テレビばっかり見てどうするの?もったいないじゃない!」

わたしは言葉を失った。「こうしなければならない」と時間に追われるのなら、仕事だろうが、旅行だろうが、わたしには同じだった。説明をしたくても、言葉が出てこなかった。涙が先に出た。そして、ポツリポツリと手探りで言葉を集めながら、自分の気持ちを確かめながら、日本の生活がつらい、生きるのがしんどい、と彼女に話した。わたしは休みたいのだ。わたしのことを誰からも干渉しないこの場所で、リセットしたいのだ。逃げたと言われてもいい。自分が保てなくなって、死のうかと思ってしまうくらいなら、ここで寝ていた方がいい。

そうだったの、と彼女は言った。「そんなこと、早く言ってよ」と、泣いた。心配かけるのもな、と思っていたと告げると「水くさい」と怒った。

翌日、彼女は仕事を休んで、わたしを近くの島に連れて行ってくれた。ゆったりと進むフェリーから眺める景色は、小さな島がポコポコと浮かび、深いグリーンの海が続く。白い鳥がスーイと飛んでいく。当然ながら、日本語は全く聞こえてこない。知らない言葉は、わたしを責めない。

渡った島には特に何もなかったが、オールドイングランドスタイルの可愛い街並みが、わたしの心を浮き立たせた。「可愛い!もっと近くで見ていい?」そう言っている自分にも驚いた。写真を撮って、甘いものを食べて、堂々と観光客として歩いた。観光エリアで大道芸を見て、嘘くさいお土産物が並んだ店頭で「だまされないわよ」と言ってみたり、珍しいお菓子を大量に買いそうになって「そんなに買ってどうするの。賞味期限短いよ」と友だちに止められたり、笑いが絶えなかった。

そうだった。休みって、そういうものだった。

ムスメはスマホのバッテリーが切れたと言って、今度は落書きを始めた。先週の誕生日にオットが買ってくれたコピック(イラストマーカー)を使ってみるのだと、笑顔で言う。その集中力はどこから来るのか、黙々とイラストを描いている。

ムスメよ。宿題はまた今度、わたしに叱られながら、泣きながらやるがよかろう。母もそのつもりでエネルギーを蓄えておくよ。

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