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よんもじ

1年以上、投稿のタイトルを四文字の平仮名にしている。なんとなく初めたことで、特に意味はない。今となっては惰性でしかないのだが、ここまで続くと意地でも四文字で行くぜ、という気持ちである。

ところが、このたった四文字をなかなか思いつかない。そして、思いついたとて、すぐに忘れるのだ。茶碗を洗いながら、通勤電車に揺られながら、書きたいこととタイトルをボヤッと考える。思いついて「あ、いいじゃん。オレ天才じゃね?今日はすんなり書けそう」と自画自賛するのだが、ペンを持ったり、パソコンの前に座った時には、完全に忘れている。「君の名は」(アニメの方)で、ミツハとタキがお互いの名前を忘れないように掌にマジックで書こうとする瞬間に時空が歪んで、もうそこから全く思い出せなくてうわああああとかなっちゃう、あんな感じである。そもそも、何を書きたかったのかさえ忘れている。我ながら呆れる。

書かなきゃいられない、という感受性はなく、もう考えるだけで気が済むようになってしまったのかな、と思う。それは、些細なことでは驚かないどっしり構えた大人なのだと言うこともできるが、些細なことには喜びや驚きを感じない、鈍感な人になってしまったとも言える。すでに死語だが、昭和の時代、自分の世界を極めたいい感じの大人や、若いけれど大人びた指向の人を「シブい」と言った。今のわたしは「ニブい」である。

もちろん、若い頃のように感受性のアンテナを張っていたら、ひどく疲弊することもわかっている。もうその体力はない。心の振れ幅が大きければ大きいほど、自分も疲れるし周囲にも心配をかけてしまう。だから、体力をつけてアンテナを張るか、アンテナを張るのをあきらめて、心の筋トレもせずに安穏と暮らすかだ。

そうなると、もう表現をすること自体がおこがましくなってしまう。しかし、書かない豚はただの豚だとわたしの中で声がする。一方で、まだあきらめないのかよ、と俯瞰で自分を見下ろすわたしが呆れている。

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