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おだやか

オットが「スタイリストの女性で、Oさんていたやろ?」と言った。うんうん、覚えてるよ。

Oさんは、おだやかな人。ニコッと笑ったときの前歯がチャーミング。ニコッと笑って、ちょっと首をかしげて「おつかれさまです」と言う。かわいい水色の車に乗っていた。「仕事でバタバタして、車で移動しながら何かを食べている時に限って、目撃されるんですよ。『運転しながらおいしそーにパン食べてたな』とかって、からかわれるんです」と言っていた。その様子が本当に可愛らしくて、ちょっと羨ましかったことを思いだした。そのころは、わたしは常にガサツで、歩きながらでもパンを食べるような生活をしていたからだ。いつも男性の仕事仲間と比べられたり、比べ物にもならなかったりで、自分が何者なのか、自分の性別とかアイデンティティのようなものがわからずにいた。だから、なにかと吠えていた。

対照的に、Oさんは仕事で無理なことを言われても、決して怒ったりしなかった。うふふと笑いながら「それ、ちょっと難しいですね」と言う。敵を作らない。スタジオでは、いつもひっそりと静かにしていて、慌ただしい現場でも大きな声を聞いたことがない。

懐かしいなあ。Oさん、どうしてるの?会いたいなあ、と言ったら「Oさん、去年、亡くなったそうだ」と、オット。えええ。あんないい人が。あんな可愛い人が。あんなおだやかな人が。あの世に行くにはまだ早すぎる。

「癌だったってよ」とオットは言って、がぶりとお茶を飲んだ。「どこの癌だかは聞いてないけど。俺、全くの同い年なんだよ」と言って、お茶を飲み干した。

しばらく会ってなくて、噂も聞いてなかったけれど、ひとたび思い出すと鮮やかに笑顔が浮かんできて、ひどく残念な気持ちだ。ずっと元気でいると思い込んでいた。亡くなった時、こうしていい印象で思い出されるのは、まさに人徳だと思う。Oさんは素敵な人だった。闘病生活はきっと辛かっただろうから、弱音を吐いたり、愚痴ったりしたこともあったかもしれない。しかし、わたしの記憶の中では、彼女はいつも爽やかな笑顔でおだやかな空気を纏っていた。

年齢を重ねると、こうした別れが増えてくる。そうすると、自分の死も考えないわけにはいかない。実感はないけれど、いつか必ず終わりが来る。その時、すべてに感謝して目を閉じることができる人になっていたいと思う。

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