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気づいてやらない

仕事帰り。バス停に降り立って、交差点の信号が変わるのを待つ。今日は帽子を目深にかぶって、周囲を見ることなく淡々と歩いていた。疲れていて早く家にたどり着きたかった。

横断歩道を渡って、川にかかる橋を越えようとした時、わたしを追い抜いて前に出た人がいた。見覚えのあるリュックを背負って、クセのある歩き方。オットだ。わたしに気づいていないのか。いや、そんなことはあるまい。そしてきっと、わたしが声をかけると「誰ですか」と言うのだ。

向こうが先に気づいていながら知らんふりをして、こちらが声をかけたら「誰ですか」と言う。そしてプイッと背を向けて先を歩いて行くのだ。過去に何度か同じ目に遭っている。

これは一種のマウントだろう。「やあやあ」と親しく声をかけてきた相手を「わたしはあなたなんか知りませんよ」と蹴落とす。声をかける方が親しさを醸し出していればいるほど、その効果は大きい。ましてや、人通りの多いところでそんな仕打ちをされれば、第三者の前で恥をかく。わたしたちが夫婦であることを知らない人には、わたしが滑稽に見えるに違いない。ほんの冗談。ふざけているだけだ。大げさな。そう思う人もいるかもしれない。けれども、わたしはそんな幼稚なイジワルは腹の底から嫌いなのだ。

だからわたしは外でオットに会っても声をかけないことに決めている。わたしは次の横断歩道で信号待ちをするオットから離れたところに立ち、信号が変わったら、オットよりも先に横断歩道を渡って、知らんふりで先を急いだ。

オットは遅れて帰ってきた。おそらく途中のコンビニに寄ったのだろう。そして帰ってきてすぐに「大通りの交差点から、川を渡ったところの信号まで一緒だったのだが、気づかなかったのか」と聞いてきた。わたしは「気づいていましたよ。けれど、声をかけて『あなたは誰ですか』というような腐ったマウントをとられると迷惑なので」と答えると、オットはひひひと笑っていた。図星なのだ。

わたしにはそれを笑い飛ばせるほどの器の大きさはないし、「誰ですか」と言われてとっさに面白く切り返せるほど頭の回転もよくない。平凡な妻は、当たり前に傷つく。そのことにいつまでも気づかないのか、それともそれに気づいていて、自分流のユーモアで鍛えてやろうとでも思っているのか。こんな場面でわたしはいつも、泣きたくなる。


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