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夜道を走る

ムスメは受験生で、今月から毎日、塾に通わせることになった。部活が終わってから行くので、20時をすぎており、外は真っ暗だ。「送ろうか?」と聞くと「いい。走って行く」と家を出た。

21時半。塾が終わる時間だ。「迎えに行こうかな」と言うと、オットが「これまで一人で行って一人で帰ってきたじゃないか」と言う。これまでは週に2日で、近所のSちゃんと一緒だったけど、今日から一人なんだよ、と説明すると「それは知らなかった。心配なら行けば?」とのたまう。

わたしはミサトっ子草履を引っ掛けて、ぼちぼちと塾方面へ向かった。塾とわが家の中間地点にお墓があり、小さな竹やぶがある。そこから先は下り坂のカーブになっていて、向こう側が見えない。わたしはそこがちょっと怖くて、自分一人だったら夜は歩きたくない場所だ。

ムスメもきっとその場所が怖かったのだろう。わたしがそこに差しかかろうとした時、坂を駆け上がってくるムスメが見えた。近づいてきて「あ」とわたしを認めると、ホッとしたのか、マスクで半分隠れた顔の、目が笑った。「おかえり。」パチンとハイタッチをしたら、ムスメが手をつないできた。そのまま家までの短い距離、手をつないで歩いた。「おー。月がくっきり」とムスメが言った。「ほんとだー」とわたしも月を見た。

わたしが小学生の頃、バス停から自宅まで、夜道を一人で歩くことが時々あった。距離にして200〜300メートルくらいだと思うが、上り坂で街灯も少なく、桜並木の影から何かが飛び出してくるのでは、と考えると怖かった。家の方から、父か母がわたしを迎えに歩いてきてくれないかな、と考えていた。バス代のお釣りを握りしめて、暗い道を走った。住宅街だが空き地が多く、人の気配もない。家のそばには細い川が流れていて、向こう岸は雑木林だった。本当に怖くて、玄関を開けて家の中の温かい空気にふわっと包まれるとようやく安心できた。家では父と弟たちがテレビを見ていて、母が夕食の支度をしていた。迎えにくるはずなどなかった。

バス停から硬貨を握りしめていた右手が真っ白になっていた。硬貨が食い込んで、手のひらと指の血流を止めていたのだ。迎えにきてくれなかった両親に「夜道が怖くて迎えにきて欲しかった」と言う代わりに、青白くなった手を見せて「なんか変になった」と言うと、母は驚いたが父は「そんなのすぐ元に戻る」と言って相手にしなかった。父の言う通り、血流が元に戻ると、すぐに元の手の色になった。そこで初めて「夜道が暗くて怖かった」と言うと「ふん。たいした距離じゃない」と笑われた。

今夜、ムスメがポニーテールを揺らしながら夜道を走って帰り、わたしを見てふわっと笑った。月を見ながら手をつないで歩く穏やかな一瞬が幸せだった。わたしの両親は、それを体験することができなかったのだ。共働きで幼児の子育て真っ最中の両親にはその余裕もなかったのだろうが、あの幸せを味わえなかったのだと思うと、ちょっとかわいそうな気もする。そしてソファに寝転がってゲームをしているオットも、日頃は憎たらしい口ばかりきくムスメの、あんなカワイイ一面を見ることはないのだ。
ああ、もったいないですな。





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