人間感覚を失ったあの夏(6)〜悟りの名残りである達観した感覚と、今〜
始まってから終わるまでの、約2ヶ月間。
私は非日常生活にどっぷりと浸り、これでもかという程苦しみましたが。
でもそのお陰で、生半可なことでは得られない大きな学びと、サイキック能力も少しレベルアップしました。
人に苦しみを受け止めてもらい、優しさを与えられるという、全く予想外の方法で、私の非日常生活は無事に幕を閉じ。
その後特別変わった情報や感覚を得ることは、一切なくなりました。
(サイキックなので、日常でも多少感じるものはありますが、通常のレベルに戻りました。)
そして、その後まるで元の自分に戻ったかというと、実はそんなことはなく。
非日常生活の、特に『悟り』の名残りの感覚が、現在進行形で続いています。
名残りが続いているというより、単に精神性が上がったということで。
この先、相当堕落した生活を送らない限り、この感じは続くのかもしれませんが。
ただ、私はこの感覚にまだ慣れていないのか、未だに時々不自由さを感じます。
「中途半端な悟りならいらない。」
「すっかり元の感覚や世界観に戻ってしまいたい。」
なんて、本当につい最近まで思ってきました。
○ 悟りの名残り
では、その悟りの名残りの感覚が、具体的にどのようなものであったかと言うと。
前回の記事で、私の悟りの体験談を詳しく書いたので、読まれている方はなんとなく予想がつくかもしれませんが。
簡単に言うと、比較的達観した視点で何でも物事を見てしまうので、人や俗世間に対して、「気持ちがいまひとつ寄り添えない。」と感じる場面が多いところです。
悟りの時に感じた、“神様と一体”“大いなるものの一部”という程の強い一体感ではないものの。
常に私の一部には、達観し自ずと答えの分かる感覚が、少しですが存在しています。
そうすると、客観的に見て、自分でも「物足りない」とか「冷たい」と感じるくらい、物事をとても淡々と見てしまうことがあるのです。
○ 「中」の世界と「外」の世界で両極に作用する、達観した感覚
それでも。
自分の中の世界であれば、それはほとんど問題ありません。
問題ないどころか、この悟りの名残の感覚に「助けられている」感じることも多くあります。
色々なことの答えがなんとなく分かるために、頭の中で不必要な問答をする必要がなく、何事も早く完結しやすいからです。
問題は、自分の「外」の世界と関わる時。
今までと違って、人に寄り添えきれない。
同情もせずに人を淡々と見すぎてしまわないかと。
元々、看護師やスピリチュアルセラピストという職業柄もあるのか、人の気持ちに寄り添うことはとても大事にするタイプだったので、余計に違和感や心配があるんだと思います。
○ スピリチュアルセラピストの仕事再開への不安
特にスピリチュアルセラピストの仕事では、相手をありのまま受け止め、共感して、というのを繰り返し繰り返し行い。
そこをベースにしながら相手を変えていく、というのが私のスタイルだったため。
「今の状態では、今までやってきたようなセッションが、成り立たなくなってしまう。」
とけっこう考えこんでしまったのでした。
この心配は、自分の中ではなかなか大きくて。
サロンの場所を9月に設けた後、正式オープンの1月まで数ヶ月間なかなか踏み切れずにいたり、なかなかブログも書く気になれなかったりしていたのは。
今思えば、新しいHPの作成や、人生が新たなステージに切り替わる覚悟が定まっていなかった、というそれだけの理由ではなく。
「この達観した状態では、人々に寄り添うことができない。」
という危機感を抱いていたからでした。
○ セッション再開後
と言いつつも。
実際にセッションを再開してみると、最初は少しの戸惑いや多少上手くいかない部分もあった気がしますが。
慣れればほとんど問題ありませんでした。
むしろ、総合的には今までよりもスムーズに行えるようになっています。
上(高次存在)に聞かなくてもなくても自分で分かることが増えたお陰で、どこを「正解」にして導いたらいいか、目標地点が今まで以上にはっきりと分かることが多いので。
誰に対してもどんな場面でも、より的確なアドバイスを迷わず伝えることが、前よりできるようになったと感じています。
状況によっては、人に寄り添うのに「えいっ!」と努力しないとできないこともありますが。
でも少し努力してしただけで問題なくできます。
物事を淡々と見られる分、相手の人生ストーリーや感情にも自分がぶらされなくなったので、目の前の人を適切な方向へ導く力が、より強まった気がしています。
○ 人間社会と自分が擦り合わない
けれども、生の人間が目の前にいないとなると、また話が別で。
人や社会への目が、何とも冷ややかになってしまうことが時々。
特にコロナウイルス感染症の拡大が世界で始まってからは。
人々が自分のことだけを考えて行動する様や、情報に翻弄され必要以上に騒ぎ混乱している様を、外の情報からも、自分のごく身近な所でも、毎日見聞きするよになってからは。
「こんな低レベルな人間社会のために、これから私は何を頑張ろう、貢献しようとしているんだろう。」
と、全て放り出したい気持ちになることもありました。
もちろん日本がということではなく、世界全体の動きを見てではありますが。
人間社会全体と、自分が擦り合わない感覚が大きい。
擦り合わない感覚は、今に始まったことではないですが。
自分と比べて周りの人々や社会の方が明らかに「足らない」(もちろん全員の人でなく、全体としてしてそういう傾向があるというだけです。)とより明確に感じるようになった分。
孤独感や、人間社会での「生きづらさ」のようなものまで感じることもありました。
○ 「人の優しさ」「人とのつながり」に気づくこと
でも、そんな時期にこそ、不思議なもので。
道端すれ違った人、お店で偶然居合わせた人、関わるお客様など。
出会う人出会う人、そろってみんな、すごく優しくて感動させられる出来事が、そのコロナ問題の頃から、頻発しています。
きっと上(高次存在)の図らいもあるんんだろうと思うのですが、そんなことがある度に、
「人間も社会も、まだまだ捨てたものではないなぁ。」
と、心が洗われたり支えになっています。
悟りの名残りである達観した感覚は、自分の世界の中ではとても役立ちますが、外の世界では葛藤を起こしやすい。
その両極の結果を、どうしたらいいんだろう。
そのためには、これからはあともう一歩上の、大きな気づきが、自分の中で必要そうです。
それはきっと。
(前回の記事の)肉体から離れる危機に直面していた時にも、最近出会う人達からも教わっている、「人の優しさ」とか「人とのつながり」かもしれません。
今のこの自粛を強いられている状況では、私だけでなく皆さんの中にも、これから浮き彫りになってくるはずですが。
私は、今回の悟りの名残りやコロナことで、自分が人に優しくすることはできても、人間社会“全体”が優しいという前提は、そう言えばあまり持っていなかったと気づかされました。
これからは、人の優しさやつながりを、相互に与え合うような経験を、今まで以上に重ねていく必要があるのかもしれませんね。
私とお客様とのつながりは、すでに大規模ではないながらあるので。
例えば私が、お客様同士がつながれる場を設けるなどの、具体的な策を練ってもいいのかななんて、考え始めたりしています。
何か思いついたら、またお知らせしますね。
○ サイキック能力のレベルアップ
それから最後になりますが。
サイキイキック能力が少しレベルアップしたことに関しては。新たなテクニックを身につけたというわけではなく。
色々な情報を読み取る速度が速くなったというのが、一番変わった点です。
特別集中しなくても、今までよりも、簡単にスピーディーに、色々な情報をキャッチできるようになりました。
かといって、変に過敏になって日常で不自由するようなこともなく、能力だけが少し上がっています。
これからも、この特技を生かして、皆様のお役に立てればと思っています。
対面セッションは自粛中ですが、オンラインセッションは変わらず行っていますので、
必要な時には、どうぞ遠慮なくお申し込みください。^_^
(おしまい)
○ 【あとがき】
『人間感覚を失ったあの夏』シリーズ、長編になりましたが、お読みいただき本当にありがとうございました。
これを書いてしまったら、世間からは間違いなく「変人確定」なんて思いながらも、一方でこれを書かないと自分が前に進んでいかない気がして。
書き始めるまでに、いや、書き始めてからもだいぶ躊躇しながらやっと書きました。
そして書き終えた今、「新たなスタートが、やっと本格的に切れそうだ。」と一安心しています。
ブログのアクセスも追っていましたが、この『人間感覚を失ったあの夏』シリーズ、内容が怪しすぎてFacebookでの公開も控えていた割には、予想以上に多くの方に読んでもらえているようです。
いくつかすでに個人的にコメントや反応を頂いていて、少し理解していただけたのかなとか、思った以上に「大丈夫だった」と胸をなでおろしています。
このブログも、人とつながる大事なツールなんだよなぁと改めて。
今まで以上にこのブログも皆様とのつながりとして大切にしながら、書き進めていこうと思います。
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